感銘を受けた本、もしくは座右の書
2009年2月22日改訂
医学の道は深いです。常に勉強していなければ、進歩に追いつけません。すでにわかっていることだけを知るだけでもかなりの量です。医学を勉強しなければと思うのですが、人間を知るためには、医学関連以外の本を読むことも大事だと考えています。私が暇になるのは、医師を引退した後だと思うのですが、そうなってから人間について勉強したのでは遅いでしょう。
良い本を読みたいものです。人生の時間は限られています。本ばかり読んでいるわけにもいきませんが、感動する本に出会うと、今まで何を読んできたのか、ともったいない気分になります。読書は会話の代わりにすぎないのかな、と思うこともあります。もちろん、偉大な友人との会話なので貴重ではあるのですが・・・。作家の海堂尊さんとは、帰りの電車で時々一緒になります。ものすごい読書量なのかなと思ったら、それほどでもないようです。Outputも大事ですね。
amazonの書評っていいですね。いいかげんな素人書評もありますが、複数の人が書いていると公平感があります。私は、可能な限り、読むようにしています。これでくだらない本を購入するのを避けることができます。一部しか表示されていないことがあるので、全部に目を通すことが大事だと思っています。
■ 目次
究極の芸術論、音楽論。 昭和21年発表の作品ですが、他の評論家は言うにおよばず、小林秀雄自身も、これを大きく越える作品を書くことはできなかったものと考えています。モーツアルトの音楽に限らず、何度読み直しても、尽きぬ人生論の宝庫でもあります。
”大切なのは目的地ではない。現に歩いているその歩き方である。現代のジャーナリストは、ほとんど毎月のように目的地を新たにするが、歩き方は決して代えない。そして実際に成就した論文は先月の論文とはたしかに違っていると盲信している。”
"努力は五里霧中のものでなければならぬ。努力は計算ではないのだから。これは困難や障碍の発明による自己改変の長い道だ。いつも与えられる困難だけを、どうにか切り抜けてきた、いわゆる世の経験家や苦労人は、一見意外に思われるほど発育不全な自己を持っているものである。”
国の興隆と没落をローマを例にあげることにより、合理的に解析した本です。多神教の時代で、宗教による社会への影響がほとんどない時代の都市について書かれており、人間社会の原点が、すべて、この時代に発生したことがわかります。ちなみに、結婚した時に、花嫁を抱きかかえて家に入る習慣も、他部族の女性を強奪して連れ帰った名残だそうです。もっとも生き生きとかかれているのは、カエサルの巻(4,5)ですが、第1巻は絶対読むことをお勧めします。なぜなら、カエサルのかかえた問題のほとんどすべては、ローマ建国の時代から存在したからです。
”洞察力と表現力は相互関係にある。鋭く深い洞察を的確に表現する能力は、次に来ることのより鋭く深い洞察につながる。頭の中にあるより、文章になった場合のインパクトは、他の誰よりもそれを書いた当人に対してより強く影響するからである。”
シリーズは、いよいよ(2006年時点)、ローマの滅亡に向かっている巻が発行されています。しかし、衰退の理由がよくわかりませんでした。ローマの衰退、滅亡については、他にも多くの書籍があるのですが、明瞭な理由がよくわかりません。最終的には、皇帝が、キリスト教を国教として採用し、蛮族の侵略によって終わるのですが、なぜ、そうなったかの説明は明瞭ではありません。”ローマ人の物語”からも同じ印象を受けています。ローマ人の物語に頻繁に出てくる”蛮族”という言葉には、いい響きはありません。ローマ人の物語は、非常におもしろいシリーズではあるのですが、宗教に関して掘り下げが浅い(塩野さんは関心があまりないらしい)こと、北方からの侵略者(蛮族という名称で、野蛮人として一様に扱っている)に関する分析が足りないような気がしています。残念ながら、作者がローマにしか関心がないことの限界がでてしまっている印象があります。
1965年から1967年に発行された全集の文庫版です。巻末に、2000年頃までに判明した新しい知見が、補遺として付け加えられています。とくに古代国家から平安時代にかけての記述が非常におもしろい。ドラマティックな人間の戦いの記録です。私は、わくわくしながら読みました。学校の教科書がいかにつまらないか、わかりました。
日本における縄文時代がどんな様子だったのか、解明にいたる課程が非常におもしろいです。乏しい直接証拠、様々な傍証を重ねて、徐々に様々なことが明かになっていくのですが、この課程が、放射線診断学と似ていて、おもしろい。今まで思いもよらなかった新たな光が当たって、過去の説が一気にひっくり返るところなどもそっくりです。それにしても、先人の勇気と信念には敬服します。貧弱な証拠から、自分で仮説を打ち出し、それを確認する作業を何十年も続けるのです。誹謗、中傷、嘲笑、学会からの無視など、さまざまな妨害に耐えて、新しい世界を発見していったのです。なぜ?と考えることの重要性を教えてくれます。
日本では、江戸時代まで、農業が主な産業であったため、民衆のパワーは発達しませんでした。なぜなら、水の管理が農業にとって必須の事項であり、水の管理は個人や家族ではどうにもならなかったからです。これが、牧畜を主たる産業としたヨーロッパと、日本の社会の発達の違いを生んだ主因と思われます。
どんな社会であっても、権威、管理から逃れることはできません。いくら権威が嫌いだという人でも、道路に放置してあるおにぎりを食べたりはしないでしょう。生きていくためには、自分以外の何かを信用せざるをえない。権威とは信用をもたらすものであるからです。権威を持っていれば、人を従わせることができました。権威としての天皇と豪族による官僚制が日本の古代国家を形成したのです。日本の皇族は、世界最長の血統を形成しています。途中に疑義があるにしてもやはり最長には変わりはないでしょう。神聖犯さざるべからざるもの、特別な人間(あるいは神、神の代理人)として扱うことで、天皇は権威を高めていったのです。天皇の候補者(子供、兄弟、親族)が、血なまぐさい闘争を繰り返しているのが、当初異様な印象だったのですが、天皇の地位につけなかった場合には、候補者だけでなく、それに連なる親戚も悲惨な生活を送らざるをえなかったようで、当事者としては必死だったものと思われます。
権威の実行者としての官僚制は、社会が動いていくためには必須の制度です。しかし、世襲による官僚制が長期におよぶと、腐敗するのはいつの時代も同じなようで、官僚制は、武士による政権(幕府)に打倒され、武士政権(幕府)が江戸時代まで続きます。日本の古代国家は、天皇、官僚、その他の豪族が、それぞれ、権謀術数を用いて闘争を繰り返した時代でした。
この時代の一種の歴史書である万葉集の歌の意味も価値も、古代国家の歴史を知らなければ、絶対にわからないであろうと断言できます。
昭和64年に東京足立区で起きた女子高校生殺人事件を扱ったノンフィクション。4人の未成年の男子が女子高校生を監禁し、暴行を加えたあげく、殺してドラム缶に入れて捨てたという事件です。一人の精神異常者による類似の事件は過去にもあったのですが、複数の人間が行ったのは、相当異常なこととされています。また、監禁が始まってから死亡するまで、なぐったりするだけでなく、火をつけて苦しむのを見て喜んだ等、あまり聞いたことのない凄惨な内容です。監禁から死亡まで40日間にわたって、いたぶったと調書に記載されています。
少年たちは複雑な家庭環境で育ちました。もちろん、複雑な家庭環境で育てば、性格がゆがむというような一元論ではありません。同じ家庭で育った兄弟がしっかりものになっている場合もあります。また、一般論として、きちんとした家庭の子供が、異常な育ち方をしてしまうこともまれではありません。人間の強さは様々です。弱い人間に過剰な力をかければゆがんでしまうでしょう。過剰か不足かを判断するのは親の責任のように思います。親になる人に勧められる本です。
”あらゆる子は、三歳になるまでに一生分の親孝行を完成してくれるのだ。それより以後は、親が子に向かってひたすら孝行の恩を返す番となる。そう観念し、念には念をいれて子を愛せ。子への愛に、決して手を抜くな。”
だまされたと思って読んでみてくださいとしか言いようがない。すばらしいです。ある女性からもらいました。ワイフより年上の人です。勘違いしないように・・・
タオの人は、自分のいる所を、いつも善いところと思っている
心は、深い淵のように静かだ
つきあう人をみな善い人だとし
自分の言うことは
みんな信じてもらえると考え
社会にいても
タオの働きの善さを見失わない
■ ’Effective Executive’ 日本語タイトル '経営者の条件' P.F. Drucker Collins 1967 年
Druckerは2005年に亡くなりました。”経営法”が主な研究テーマでしたが、経済分野だけでなく、さまざまな影響を多方面に与えました。理論的ではあるのですが、数学のような一直線の理論とは違うように思います。もっとも、”数学”も高級な分野では、一直線ではないようですが・・。
この本は、”真に管理できるのは自分だけである。自分を管理できない人が、他人の管理をできるわけがない。”というテーマで書かれています。自分を経営するのです。深い洞察に満ちた本です。ちょっと気のきいたことを書きました、というような浅薄な本とは格段の違いを持っています。ドラッカーで一冊読むとすれば、この本だと思います。
The subject of this is book is managing onself for effectiveness. That one can truly manage other people is by no means adequately proven. But one can always manage oneself. Indeed, executives who do not manage themselves for effectiveness cannot possibly expect to manage their associates and subordinates.
日本にドラッカー学の研究のための学会があります。ご興味のある方は、ごらんください。
■ ’なぜ、それを考えつかなかったのか’ チャールズ・W.・マッコイ・Jr 著 ルディー・和子 訳 ダイヤモンド社 2003年
著者はアメリカの高等裁判所の判事です。日本の裁判官みたいに世間知らずでは、アメリカの裁判官はやっていけません。医療は、五感をフルに活用しないとやっていけません。しかし、五感は間違うのです。錯覚が思わぬくらい頻繁に生じるのです。医師におすすめしたい本です。
思考過程の中に不正確な要素がほんのわずか入り込んだだけで、正しい結論に到達する確率が劇的に低下します。それを知っているので、聡明な思考家は細部にしつこいくらい注意を払うのです。
”知覚する能力と洞察力との間に高い相関関係があることが調査でわかっています。たとえば、焦点の合っていないぼんやりした写真から対象物を見つける能力をみることで、大学入試のための全国統一試験よりも正確に洞察力の程度を測定することができます。ということは、自分の洞察力を高めたいのであれば、知覚能力を高めなければならないということです。そして、知覚能力を劇的に高めるためには、的を射た質問をすることと相手の言うことを注意深く聞くことを学ばなくてはなりません。”
”早急に判断を下すことは考えることを中断することであり、あとで、『なぜ、それに集中しなかったのか?』と後悔することになるのです。早急に判断を下す誘惑に負けないようにすれば、完璧の域近くまで理解を深めることができます。
*** 関連書籍
● クリティカルシンキング E.B.ゼックミスタ、 J.E.ジョンソン 著 北大路書房 1996年
我々は、他人の行動の原因、つまり理由を考える時には、その人を取り巻く周囲の状況からの影響を軽視し、その人が持つ個人的な性質の影響を重視しがちである。この種の思考の偏りを心理学では、基本的帰属錯誤と呼んでいる。
付加情報ひとつでそれまで原因と思われていたものが背景の文脈に引っ込み、それまで背後に隠れていた別の条件が浮かびあがってくる。原因を探るために多くの情報を集めることがいかに重要かがここからわかるだろう。
達成ということに執着しすぎると、自分という人間の価値を、成績とか、業績の観点だけで評価するようになる。そうした見方の結果として、人は安定した自尊心を持てなくなってしまう。目標達成のために必要な他者との協力関係を妨げてしまう。常に競争的な姿勢をとることで、多くの人から嫌われる。他人に勝つことが目標になってしまい、自分の間違いや失敗を認めようとしなくなる。
■ ’眼の誕生’ アンドリュー・パーカー 渡辺政隆・今西康子 訳 草思社 2006年
地球における動物は、カンブリア紀(約5億4千万年前)に爆発的に進化したことが知られています。それがなぜかということを追求した論文です。著者は、光に対する反応(視力の出現)が、動物の進化に大きく作用したとしています。視力が出現したことで、他の動物を捕らえて食べることが極めて容易になりました。食べられないよう工夫した動物以外は、生き残れなかったという主旨です。視力を持って、他の動物を捕らえ、容易に食べることができた動物も、他の動物からは食べられにくいよう発達をします。これがカンブリア紀の早期に起きたのです。それまでは、触覚、嗅覚などしか存在せず、自分以外の動物を食べるという行為は、極めて未熟でした。
非常に緻密な理論で、例証も豊富です。考古学で最近用いられている科学的解析技術に関する記載も非常におもしろいです。結果は大胆ですが、推定に関しては謙虚です。一つの事項について、これだけの記載をするのは並の才能ではないです。圧倒されます。是非、お読みになることを、おすすめしたいです。
■ ’5万年前 このとき人類の壮大な旅が始まった’ ニコラス・ウエイド著 沼尻由起子 訳 イースト・プレス社 2007年
著者は、イギリス生まれの科学ジャーナリスト。訳はところどころ納得いかない(日本語としてつじつまが合わない)ところもあるが、全体としては良好です。
遺伝解析により、人類の発展に関して様々なことがわかるようになりました。男性のY染色体、女性のミトコンドリア染色体は代々受け継がれていくことが知られています。ミトコンドリア染色体は突然変異が多く、解析にはあまり役にたちませんが、Y染色体分析により、5000年以上前の人類の発展史がかなりわかるようになってきました。
およそ5万年前に、現人類はアフリカを出発し、世界各地に散っていきました。言語が出現したのもこの時期だろうと推定されています。それまでも、ネアンデルタール人など、外見は人類そのものが存在していましたが、言語などはなく、したがって文化もありませんでした。定住化の後から農業が発達しました。一夫一婦制の出現の必然性、などなど、洞察にみちた本です。非常に面白い。鎌状赤血球症の出現は、焼き畑農業により、水たまりができ、そこに蚊が大量に発生するようになって以降、おおむね1万年ほど前です。人類は、プリオン病に対する抵抗性を持っていますが、それは過去の食人の習慣があったことを示唆する、などなど。
類書として、"人類の足跡 10万年全史 スティーブン・オッペンハイマー著 草思社 2007年"があります。こちらのほうは、学者が書いているだけあって重厚です。飛躍は少ないですが、すごく実証的です。読んだ順番で、"5万年前"を挙げましたが、"人類の足跡" のほうができが良いと、今は思っています。両方読むと面白いと思います。
■ ’ライト、ついてますか’ D.C.ゴース、J.M.ワインバーグ 木村泉訳 共立出版 1987年
有名な問題発見の人間学。シリーズでいくつかでていますが、これが一番わかりやすいかも・・・。
我々は、日常様々な問題をかかえていますが、問題を真に理解していることはまれで、そのために解決策も間違った方向へいくことがほとんどです。問題を解決しようとする意識が問題をゆがめてしまうのです。
”問題の正しい定義がえられたかどうかは決してわからない、問題がとけた後でも”
■ ’子どもに伝えたい<三つの力>’ 斎藤孝 著 NHKブックス
斎藤孝さんのことが雑誌アエラ(2002年4月22日号)で紹介されていて面白く思っていましたが、連休で時間が取れたので、何冊か読んでみました。その中の一冊です。主旨は、2002年2月18日号に、雑誌プレジデントでも紹介されていた、”勉強法”とほぼ同じです。小中学生くらいのお子さんをお持ちの方に是非、一読をおすすめしたいです。視点は非常にユニークですが、決して奇抜ではありません。著書の中にも、”愚直とも言えるほど大まともなコンセプト”と記載がありますが、確かに、今まで明瞭に書かれていなかっただけで、できる人間であれば、誰でもが持っている力であると思われます。他に、”身体感覚を取り戻す”、”声に出して読みたい日本語”、三色ボールペンで読む日本語” などの著書がありますが、私が一番面白いと思ったのは、この本と、”身体感覚を取り戻す”でした。なお、”身体感覚を取り戻す” NHKブックスは、第14回新潮学芸賞を受賞しています。
”コメントは、基本的に何かに対するレスポンスである。何かを見たり聞いたりしたときの自分の経験について、あるの責任感をもって応答するのがレスポンスである。何かを経験した後に、何もコメントすることがなかったり、あるいはまともなコメントをすることができなかったりすれば、その経験の質自体が問われる。コメントするという習慣が欧米に比べて日本に乏しいのは、コメントすることが一つの責任だという意識が希薄だ、というところにあるのではないだろうか。” (この後に、”全部を言葉にしてしまえば、大切なものが伝わりにくい” と続くので要注意)
■ ’脳はなぜ「心」を作ったのか’ 前野隆司 著 筑摩書房 2004年
まだ評価の定まっていない本ですが、一度読んだだけで、あまりのすっきりさに納得してしまいました。私は、小児科医時代には、人工知能を研究していたので(先天奇形の診断システムを論文として発表しています。)、この種の研究に非常に興味があります。もしかすると、そんなに遠くない将来、人間と同じような感覚、感情を持ったロボットシステムができあがるのではないかと予測させる本です。
心理分析的にも、非常に面白い発想ではないかと思いました。
”もともと「意識」とは、小びとたちの連想ゲームの結果をクオリアとして感じるためのシステムであって、そこには、「知」「情」「意」「記憶と学習」は含まれないのだった。ただ、私は思い出した、とか、こう考えた、こう決めた、こんな感情状態にある、といったことを感じるためのシステムだ。実はそこには個性はない。「無意識」の小びとたちがどんな結果を出して、そのうちのどれが選ばれて意識に運ばれるか、によって、その人の個性は決まる。「私」は、その結果を感じているだけのシステムだから、どの人の「私」もさほど変わらない。”
■ ’人間の土地’ サン=テグジュペリ 堀口大学 訳 1939年
みすず書房 山崎庸一郎訳が、”人間の大地”、新潮社 堀口大学訳が ”人間の土地”。誤訳が少なくないとされる堀口訳ですが、山口訳のほうがわかりやすいかというと、それは疑問です。比較してみると、なかなか面白いです。詩の一種ととらえたほうがいいのかもしれません。文章は、暗喩に満ちています。原文を読んでみたいですが、フランス語は一応、大学で習いましたが、記憶に全く残っていません。ドイツ語やラテン語のほうが記憶に残っています。原文読むより、他人の訳でも日本語のほうがいいです。巻末に、宮崎駿さんがコメントを書いていますが、これもなかなか面白いです。
”物質上の財宝だけを追うて働くことは、みずから、わが牢獄を築くことになる。人はそこへ孤独の自分を閉じこめる結果になる。生きるに値する何ものをも購うことのできない灰の銭をいだいて。”
”完成は付加すべきなにものもなくなったときではなく、除去すべき何ものもなくなったときに達せられるように思われる。”
■ ’死ぬ瞬間’ E・キューブラー・ロス 著 鈴木晶 訳 中公文庫 1969年
死の臨床心理学について書かれた本です。タイトルから誤解されてしまうのですが、(私もずっと誤解していて、読んでませんでした。)、不治の病(悪性腫瘍が主)に直面した患者さんの心理状態を分析し、対応法を検討した研究書です。200人の悪性腫瘍の患者さんに、担当医、精神科医(著者)がインタビューを行った実践の記録です。まだ、がんの告知をしていなかった時代のアメリカが背景になっていますが、十分、今日でも通用します。非常に実践的な内容で、論理的で、ユーモアも説得力もあります。若いドクターよりも、臨床経験の豊富なベテランの医師におすすめしたい。若いドクターがこの本を読んで、人間がわかったような気分になるのは好ましくないと思います。患者さんが読んで役にたつかどうかは、よくわかりません。なお、この本の翻訳は、もうひとつ、川口正吉さんによるものがあるのですが、こちらのほうが、実際のインタービューの内容なども書いてあり、おすすめできます。なお、キューブラー・ロスの著書は、その後、神秘体験の方向へ進んでしまったため、評価が下がっていますが、この本はおすすめできます。
下記の本も医学関連の心理学書として、まとまっていると思いますし、理論だけでなく、実践の結果を書いてあるので、説得力があります。医療関係者に是非、一読をおすすめしたいと思います。
ガン患者ケアのための心理学 朝野茂隆、谷憲三朗、大木桃代編 1997年 真興交易医書出版部
”わたしたちの患者すべてが一致して強調するのは、悪い報せそのもののショックよりも、感情移入されているという情緒が大切だという一事である。あらゆる手段がとられるだろうという確信、自分が見棄てられないという確信、治療法があるという確信が患者にとっては何よりも大切なのである。極度に悪化したケースでも一縷の望みがあるという確信が、患者にとって救いなのである。悪い報せがこうした感情移入の態度で打ち明けられるなら、患者はその医師に信頼を持ち続ける。”
”休息と安らぎと尊厳がほしいのだと叫ぼうにも、点滴や輸血を受けていて、人工心臓装置につながれ、必要があれば気管切開までされてしまう。だれか一人でいいから、一分だけでもそばに来てくれたら、ひとつだけ質問したいと願う。ところが、十人以上の人がベッドの周りにいながら、全員の関心は彼の心拍数、脈拍、心電図、あるいは肺機能、分泌物、排泄物だけに向けられ、人間としての彼には誰も目を向けようとしない。ますます機械化され、個人の人格を無視した医療は、じつは治療する側の自己防衛メカニズムなのではないだろうか。”
■ ’カラマーゾフの兄弟’ ドストエフスキー著 原卓也訳 新潮社
現代でも問題になっている、宗教の存在意義に触れていますが、それだけではありません。くだらなさと高貴さのいりまじった人間が生き生きと描かれています。よく話題になる、大審問官の記述に関しては、現代人は、たいていの人が何の違和感もなく読むのではないでしょうか。私は、その後に出てくるアリョーシャのまとめた、ゾシマ長老の生涯に関する話のほうが感動できました。”腐臭”に関しては、だれか解答を出しているのでしょうか。ドストエフスキーが宗教をどう考えていたか、その思いが、”腐臭”に表されていると思うのです。少なくとも、宗教礼賛ではないことは間違いないでしょう。
もし、無人島に一冊だけ許可されて本を持って行けるなら、この本を持って行きたいという人は少なくないのですが、半年くらいだったら、あきずに読めるかもしれません。それは結構すごいことだとは思いますが、私なら旧約聖書(岩波訳が好き)を持って行きます。こっちは底知れぬ深さです。
”公平な秩序を打ち立てよう考えてはいるのだが、キリストをしりぞけた以上、結局は世界に血の雨を降らせるほかあるまい。なぜなら血は血をよび、抜き放った剣は剣によって滅ぼされるからだ。だから、もしキリストの約束がなかったなら、この地上で最後の二人になるまで人間は殺し合いをつづけるに違いない。”
”神は他の世界から種子をとって、この地上に播き、自分の園を作られた。だからこそ、生じうるものはすべて生じたのである。だが、その育てられたものは、もっぱら神秘的な他の世界と接触しているという感情によって生き、はつらつとしているのであって、もしその感情が弱まったり消えたりすれば、自己の内部に育てられたものも死んでしまうのだ。そうなれば、 人は人生に無関心となり、それを憎むようにすらなるのである。”
■ ’”みんなの意見”は案外正しい’ ジェームズ・スロウイッキー 著 小高尚子 訳 角川書店 2006年
一人、あるいはごく少数の専門家が行うより、むしろ多数の非専門家が参加したほうがむしろ、ものごとがうまくいくのはどうしてなのか、ということを分析した本です。しかし、”みんな”の意見が生かされるためには、いくつかの条件が必要です。最大のものは、”みんな”の多様性です。
” 専門家は先々の変化を予想するのに充分な情報と、その情報を有効に活用にする能力を持っていると誰もが期待する。ところが、最低限の専門知識以上の専門性は変化の予想にはほとんど役に立たない。 ”
■ ’千里眼 トランス・オブ・ウオー’ 松岡圭祐 著 小学館 2004年
非常に面白い。ヒロインがいい。私は、”風の谷のナウシカ”のナウシカを連想しました。
学説として、戦争心理が一種の催眠状態であることが、可能性があることとして認められているのかどうか知りませんが、実感としては非常によくわかります。文学が、アカデミズムを越えていることは時として経験します。
千里眼シリーズはだいたい読みました。全般に女性が非常にきれいに書かれていますが、それは著者が男だからで仕方ないです。目からうろこが落ちることもありました。松岡圭祐さんの著作は、すべてが傑作とは言えないことが、いろいろ読んでわかりましたが、”催眠”、”千里眼”、”トランス・オブ・ウオー”あたりは、間違いなく傑作と言えそうです。
なお、トランス・オブ・ウオーですが、主人公の岬が、親の交通事故の賠償金を払うことが、職を変えるきっかけになっていますが、どうして遺産放棄しなかったのかなと思います。それだけが、どうしても気になって・・・・。
”親がいないのなら、誰かを親代わりにしようとせず、自分が親の役割も兼ねること。自分の成長を認める否かも、自分にきくこと。道を踏み外しそうになった時に自分を叱咤し、戒めるのも自分自身。なにかを成し遂げて、自分を誉めるのも自分自身。心にしっかりそう描いておけば、他人の意見に翻弄されることもない。 ”
■ 後世への最大遺物・デンマルク国の話 内村鑑三著 1946年 岩波書店
この本を時々読み返して、自分を励ましている経営者は少なくないと聞いています。内村鑑三は、無教会派(所属教会を持たないプロテスタント。聖書の研究を主体とする)の提唱者(そういう宗派があるわけではありません)として、有名です。
”荒れ野と うるおいなき地とは楽しみ、
砂漠はよろこびてサフランのごとくに花咲かん、
盛んに花咲きて歓ばん、
喜びかつ歌わん
The desert and the parched land will be glad;
the willderness will rejoice and blossom.
Like the crocus, it will burst into bloom;
it will rejoice greatly and shout for joy.
(イザヤ書 35章より) ”
* 無教会キリスト教について一言:
内村鑑三さんが創始者とされるプロテスタント・キリスト教のひとつの形です。教会と関係を持たず、聖書の研究をすることでキリスト教徒であろうとする一種の宗派です。一般的な教会教徒と形式が違うだけで信仰が違うわけではありませんが、形式が違えば、それは宗派が違うとも言えます。ほとんど日本独自とされています。内村鑑三さんが生きていた頃は、教会に対して寛容だったのですが、弟子の代になって、教会を認めないという方向もでてきたようです。聖書研究をもっぱらの目的とするため、集会の雰囲気は非常に厳しく、反省するような流れもあるようです。間接伝道という言葉も同値ではないかと思われます。日本は、キリスト教徒が、全人口の0.3%と、諸外国に比較して極端に少なく、特に欧米のインテリには信じられない数字となっています。日本では、洗礼を受けても、1,2年で教会通いをやめてしまう人が少なくなく、クリスチャン寿命という言葉まであるようです。こういった点から、日本暮らしを経験した外国人宣教師の中には、日本には、間接伝道がふさわしいのではないかという意見もあります。無教会派には、プロテスタント教会関係者からの反発があり、話はこんなに単純ではないのですが、要約すると、こんなところではないでしょうか。カソリックは、ヒエラルキーががっちりしているので、反発は生じないものと思われます。
興味のある方は、”内村鑑三の生涯” 小原信著 PHP をお読みください。読んで楽しい本ではないです。クリスチャンにはあまり勧めたくない本です。
■ ’下流同盟’ 三浦展 著 朝日新聞社 朝日新書 2006年
格差社会、下流社会について、最近、続々と本が出ています。響きは良くないですが、”はやり”です。しかし、どうやら世界中を巻き込んだ社会現象のようです。日本の政治が原因というわけではなさそうです。国境を越えた、行きすぎたグローバル化・効率化がその犯人のように思われます。この現象は、一時的で元に戻るのでしょうか。私にはそうは思えません。水が低きに流れるごとく、経済上の効率の追求は経済原理のうちの最大のものではないでしょうか。しかし、恩恵だけに目を取られていると、とんでもないしっぺがえしが来るものと思われます。効率経済の上に乗っているつもりでも、いつはじき出されるかわかりません。しかも、いちどはじき出されると、もう一度乗ることが非常に難しいのです。私には、人類社会につきつけられた刃のように思われます。乗り切ることはできるのでしょうか。
”日本の自然を破壊し、地域社会を破壊することが、地域社会を空洞化させ、国民の地域へのアイデンティティを危機に陥れ、結果、国家への帰属意識を高めるからである。本来美しかった日本を壊すことで、新しい美しい日本へのナショナリズムを昂揚させるのだ。それが戦略であるとすれば、かなり巧妙な戦略である。”
***関連書籍
● 労働ダンピング 中野麻美 著 岩波新書 2006年
ひとつひとつの文が長く、少々読みにくい(句点だけで、文章がずらずらと続く。主語と述語の関係や、修飾関係がよくわからないところがある)のが難点ですが、中身は濃いです。もしかしたら、必要以上に煽っているのかなという気もしますが、結論は、もう少し勉強してから・・・。それにしても、岩波書店発行というのに、編集者は読んでないのか・・・。
非正規雇用者だけでなく、正社員にも、ダンピング(賃金低下)の波が及んでいます。少しでも製品の値段を下げる --> 成果主義による正社員の給料低下+正社員の非正規社員化 --> 少しでも安いものが欲しい、という悪魔のサイクルが始まっているようです。ごく一部の人だけが、賃金アップの恩恵にあずかっている。自分だけが良ければというのは、非常に近視眼的な味方です。社会が荒廃すれば、自分に跳ね返ります。自分だって、いつまで裕福な立場でいられるかわかったものではありません。くびになったり、病気になったりすれば、たちまち下層社会の住民になります。そのときになって騒いでも遅い。非正規社員という立場は、自分の給料だけでは自活ができないことを意味している、ということをきっちり認識する必要があります。おそらくは、若い世代の雇用環境の不安定さ(半数近くが、非正規雇用。いわゆるアルバイター、フリーター)が、結婚、出産率の低下の大きな原因となっているものと思われ、日本政府の責任は大きいと言わざるをえません。
私の予測。ホワイトカラー・エクゼンプション(勤務時間に制限なし)は、医師に適応される日が来る。恐ろしい。
● 下流喰い 須田慎一郎 著 ちくま新書 2006年
労働ダンピングと合わせて読むと背筋が寒くなります。ことさら目新しいことが書いてあるわけではありませんが、Non fictionの迫力があります。現代人なら一度は読んでおいて損はないと感じています。
子供の買い物を見ていると、欲しいものを買っているというより、業界が欲しくなるように宣伝したものを買わされているのだと感じます。みんながそれに気がついて、物を買わなくなったら、経済も沈滞してしまうかもしれません。しかし、現代において、借金は命より重いというのは常識ではないでしょうか。
副題:”立ち去り型サボタージュとは何か”。このタイトルを読んで、中身をなんとなく想像できたので、ずっと読んでませんでした。しかし、実際に読んでみると、想像とはかなり違っていました。私が考えていたよりも、医療崩壊は早く始まっていたようです。この著者の問題認識の鋭さに感心します。医師専用のネットワーク掲示板でも、医療崩壊(この本のことではなく、現象として)がかなり話題になったのは、2006年8月の福島の産婦人科医逮捕事件以来なので、やはり著者の鋭さには驚きます。書き方は丁寧で、客観的です。
この問題は、非常に奥が深く、上に紹介した本:格差社会の到来とも関連しており、簡単に解決できそうもありません。私には何が正しいのかわかりません。医療費はすさまじい勢いで増加しており、それは、医療の高度化とも関連していて、抑えることはできません。いい治療法があるのに、それを使わないのは、医師の一般的な姿ではありません。しかし、最近の日本は、トータルとしてのGDPは微増してはいても、貧乏人としか言えない人の絶対数が増えており、もはや平等な医療の供給は無理な状況となっています。今までは、医師がサービス残業でがんばってカバーしていた部分もあったのですが、それがもはや無理な状況になっています。燃え尽きて病院をやめていくのです。
■ 新たな疾病 ”医療過誤” Robert M. Wachter, M.D. (原題名 Internal Bleeding) 翻訳 原田裕子 朝日新聞社 2007年
訳は全体としてはまあまあ、たまに明かな誤訳があるところは残念です。英語の原著が日本のアマゾンで簡単に手に入るので比較することができます。
内容は極めて秀逸。アメリカの医療システムも安全性に関しては、日本とほぼ同一の問題を抱えています。日本の現状を書いているんじゃないかと思わず考えてしまう部分もあります。かなり似たような状況です。アメリカの医療状況を5年から10年遅れくらいで、日本の医療が追いかけているような印象です。日本の留学生から、アメリカの医療システムが優れていると聞くことが多いですが、おそらく日本からの留学生はアメリカのトップクラスの病院に行くからそのような印象になることがあるのでしょう。平均的には日本の医療システムのほうがすぐれているかもしれません。しかし、アメリカでは、これに限らず、問題を解決しようとする意気込みがまるで日本と違うところに、民族差を感じます。
アメリカでは、医療過誤があっても、実際に訴訟になるのは3%ほどだそうです。参照文献は紹介してありますが、数値に関しては、信頼できるものかどうかよくわかりません。いずれにしても、訴訟社会アメリカとは言いますが、なんでもかんでも訴訟になっているわけではないようです。アメリカでは、訴訟になっても和解で落着することは少なくありません。また、病院を訴えることは非常に少なく、医師個人を訴えることがほとんどです。個人の責任を非常に重視するのがアメリカの社会です。医師側が敗訴した場合と和解した場合は、医師のデータベースに、その履歴が載ります。現在は、病院関係者しか、このデータベースを見ることはできませんが、患者団体から公開するよう圧力があり、もし、公開された場合、医師としてまともに働くのは難しくなるのではないかとされています。費用の点で和解を選ぶこともしばしばあるようですが、医師としての履歴に傷が残るので(精神的傷ではなく、実務上の傷)、安易な和解は好ましくないとしています。
アメリカの訴訟システムの問題は、勝訴になっても、患者さん個人が受け取れる金額は全体の40%ほどしかないことです。訴訟にかかる費用が猛烈に高い。ですから、貧乏な人は、明かな医療過誤があっても、訴訟を起こすことはできません。日本でも、無過失賠償制度が検討されていますが(2007年時点)、アメリカでも提案はされているようです。無過失賠償制度の場合、ほとんど全額を患者さん本人、家族が受け取れるのがメリットです。
医療においては、様々な分野でガイドライン(診断根拠、治療方針)が作られています。アメリカでは、そのガイドラインからはずれたことをしているかどうかが裁判の争点になることが多いそうです。訴訟して勝てるかどうかの判断をアメリカの弁護士がするときの、大きな根拠になっています。日本の裁判でも、そのガイドラインにのっとっているかどうかで、有罪かどうかが決まるようになってきています。医療の内容を問うのは難しいから、ガイドラインからはずれているかどうかを問うようになってきているのだそうです。
日本人の医師に読んでほしい。すごく勉強になると思います。患者さんが読んでもがっかりするかもしれません。アメリカでもこの程度か・・と。しかし、アメリカの医療関係者による問題意識・システム分析はさすがで、このままいくと、数年後には大きな差がついているかもしれません。
アメリカの医療過誤報告分析システムのホームーページは次のとおり:
http://webmm.ahrq.gov
** 関連書籍
● ”患者安全のシステムを創る” 副題:米国JCAHOの推奨のノウハウ 相馬孝博 監訳 医学書院 2006年
すばらしい。単なるマニュアル本ではありません。載っている事例が素晴らしい。こんなことに注意すべきだ、というようなことが、ただ羅列してあるばかりだったら、たちまち飽きてしまうのでしょうが、そうではないです。どうしてそうしなければならないのか、まで踏み込んでいるので、非常に説得力があります。翻訳は問題なし。
臨床医全員におすすめしたい。アメリカの医療を手放しでほめるつもりはありませんが、こういうシステマティックな方式が取れるところはうらやましいです。言い訳ばかりしている日本の病院は駄目ですね。
■ ’まず石を投げよ’ 久坂部羊 著 朝日新聞社 2008年
題名は、ヨハネ福音書 第8章7節からの引用。医療過誤を扱った小説ですが、類型的ではなく、私には新しい視点がありました。なかなか面白い。医師には、おすすめ。医師の中には反発する人もいるだろうと思います。
罪のない者以外は、他人の罪を批判する資格がないというのは、単なる、いえ、悪質な口封じではないでしょうか。 ”
■ ’世界に格差をバラ撒いたグローバリズムを正す’ ジョセフ・E・スティグリッツ 著 楡井浩一訳 徳間書店 2006年
世界経済の教科書として最適です。新聞で見かけるIMFや世界銀行の仕組みを初めて知りました。著者が言いたいことは、グローバリズムは正しいが、地域性も重要だ。思想としてのグローバリズムは正しいが、実際には、先進諸国が先進諸国の役にたつようにだけ利用されている。格差がしょうじてしまうのは、グローバリズムがゆがんだ形で利用されているからだ。
”長く用いられてきた経済理論によれば、グローバル化は先進国内でも不平等を拡大させていく。特に非熟練労働者の賃金が低下するからだ。賃下げ圧力が押しとどめられると、今度は失業が増加し始める。”
”手持ちの資金が尽きると、各中央銀行はIMFに駆け込んだが、援助を受けるには、政府支出の削減、増税、金利の引き上げなど、長い条件リストを満たさなければならなかった。中央銀行が金利を引き上げると、国内企業は次々と負債の利払いに行き詰まった。 ”
■ ’大暴落1929’ ジョン・K・ガルブレイス 著 村井章子 訳 日経BPクラシック 1955年
名著と言われているので、読みました。読んだのは2009年2月。すなわち、第2次世界大恐慌の最中です。名著というので、堅苦しい文章かと思っていましたが、全然違います。ユーモアあふれる文章で思わず笑ってしまう部分もかなりあります。人間に対する辛辣な観察から生まれた本でしょう。投資家にはおすすめです。私も株を買っていますが、投資に対する考えが激変しました。
”市場があやしい雲行きになったときの常套句、すなわち 「経済は基本的には健全である」とか「ファンダメンタルズは問題ない。」というものだ。この台詞を聞かされたら、何かがうまくいっていないと考えたほうが良い。”
”株式市場を利用して政府の信用を失墜させる陰謀が進行中ではないかと、共和党幹部は考え始めている。政府高官が明るい景気見通しを発表するたびに株価が下がるのは、そのせいに違いない。(共和党全国委員会の委員長 シメオン・D・フェスの1950年の言葉)”
”悪い事態を予想するのには勇気も洞察力もいらないのであって、いいときにいいということのほうが勇気がいるのだ。”
”大暴落の原因を説明するほうが、その後の大恐慌を説明するよりはるかにやさしい。恐慌の原因を究明しようとすると、株の暴落が果たした役割を評価するのが非常に難しい問題となる。経済学はこの問題にまだ答えをだせていない。”
■ ’新聞社 破綻したビジネスモデル’ 河内孝 著 新潮選書 2007年
書店でみかけて、なんとなく買ってみました。著者は、元XX新聞社の常務取り締まり役。XX新聞社の医療関係の記事は、間違いがかなり多く、一流新聞社だとは思っていませんでしたが、この本は、意外に相当おもしろい。新聞社とテレビ放送局との関係は、政治との絡みなど、その歴史的経過から解説されていて、興味深いです。内情暴露本ではないと、最初に宣言していますが、これが内情暴露本でないとしたら、なんと表現したらいいのかわかりません。XX新聞社に対しても、遠慮なく書きたいことを書いています。近い将来、新聞の宅配はなくなり、紙もなくなるかもしれませんが、取材をする専門家だけは残るのではないか、という指摘には納得できるものがあります。
”世界中、日本中のXXX新聞支局のゴミ箱に捨ててある書き損じを全部下さい。あなた方には私達ユーザーが求めるニュースが全然わかっていないのですから。 (ヤフージャパンの井上雅博社長が、XX新聞社の幹部に向かって言った言葉)”
■ ’道のむこう’ ベルンハルト M.シュミット ピエ・ブックス
私の美の原点は、高校生の時に経験した冬山の吹雪いている雪景色にあります。実在の世界なのに、白と黒だけの非現実的な美しい世界です。そういう意味では、若林浩樹さんの”心象風景”などを座右の写真集にあげるべきなのかもしれません。しかし、私にとって最大の衝撃は、ベルンハルト M.シュミットの写真集 ”道のむこう”、”どこまでも続く道”です。おそらく、この本を見た、プロを含めた大多数の写真家は衝撃を受けたに違いありません。一枚一枚の写真は、もしかしたら、自分にも撮れるかも(大型カメラを地面近くまで下げて撮っているものと思われます)、と思わせるのですが、一見、地味な課題を執念を持って、撮り続けることは常人には不可能と思われます。まさしく、ライフワークです。永年、撮り溜めて、初めて、この課題は素晴らしい生命力を持ったのです。ということは、この写真家は、撮り始めた時に、最終段階が見えていたに違いありません。それが常人には不可能なのです。
写真撮影が好きではない人にもおすすめできます。道という人工産物と自然との調和に対する圧倒的な共感を感じます。