遺伝子診断・治療について

2004年12月31日改訂

"疾患と遺伝子との関係が解明されてきており、今後は、遺伝学の知識なくては医療が実践できない時代に入っていくものと思われます。顕微鏡、解剖学、血液検査、生理検査、X線、超音波、MRI・・・・と人間の体を調べる武器を人類は得てきましたが、ここに来て、最終手段を得ることになりそうです。しかし、遺伝子診断は、諸刃の劔です。簡単に言ってしまえば、”あなたの遺伝子は、自分の将来だけでなく、子孫の将来に禍根をもたらす。” と、判断されてしまう可能性もあるからです。いかに優秀とされている人にも、遺伝学上は、ある確率で突然変異が起こる可能性があり、その結果さらに優秀な人ができあがる可能性もありますが、問題が生じる可能性もあります。他人事ではありません。遺伝子の並びの解析から、最終蛋白の生成を予測する(こういう学問分野を”プロテオミックス”と呼びます)ことは困難とされていますが、おそらくは時間の問題ではないでしょうか。そうなれば、問題があろうがなかろうが、修正すれば良いという、恐ろしい時代になるのだと思いますが・・・。”

 上記は、2002年に書いたことです。その後、人間の遺伝子解析は一通り終了してしまいました。2004年12月の時点では、費用さえ払えば、自分のすべての遺伝子解析を行う商業利用まで可能となりました。

 ところが、ここで足踏みとなっています。上記しましたが、遺伝子解析と疾患の解析・治療とはかなり距離があるのです。一部では有効な利用も行われていますが(P53とのガンとの関係など)、遺伝子解析からわかったことからみたら、サハラ砂漠の中の砂ひとつくらいの意味しかありません。ここから、さらに一段階あがるためには、相当のブレークスルー(革新的向上)がないとうまくいきそうもありません。近年、多くの研究が、ゲノムがらみで行われており、これでいいのかなと思ってきましたが、それが現実となってしまったようです。もちろん、将来はこちらの方向へ行くのだろうと思いますが、何か、大きな革新がないと上れそうもありません。

 

目次


遺伝子(ゲノム)解析のメカニズム

基本的には、PCR法(ポリメラーゼ連鎖法)などで増殖させたDNAを、順番にコードを読んでいくしか方法はない。一度に読める長さに制限があるため、検査時間は膨大なものになる。当初は、すべての遺伝子を順番に読んでいく方法が採られたが、途方もない時間がかかっていた。これに対して、高速解析を用いて実績をあげたのが、ベンター博士である。下記のようなすぐれたアイディアを用いた。

■ 高速解析のために  

1) 遺伝子のみを読む     

 セレラ・ジェノミクス社のべンター博士が用いたのは、上記したように、ゲノム全体の95%をしめる非遺伝子部分の検索をスキップして、遺伝子部分のみにまとをしぼることであった。遺伝子が働くときには、mRNAが作られることに注目して、検索を行った。  

2) まずは細切れにして、後で統合     

 ゲノム解析は、当初、全体をひとつながりで検索していたため、非常に時間がかかっていたが、セレラ・ジェノミクス社のべンター博士は、委細構わず、まず細切れにしてしまい、後で細切れの末端を照合して、つながりを決めるという、ユニークな発想のもとに検索を行った。このため、解析が高速に進んだ。コンピュータ技術の進歩があったからできたとも言える。ホールガンショット法とも言う。これに対して、段階的にばらばらにして検査する方法を階層的ガンショット法という。階層的ガンショット法は、公共国際チーム(HUGO)が使用している方法である。 

ゲノム解析の応用

■ 微生物による薬剤生成

 遺伝子の注入により、特定のたんぱく質を作る微生物を作り、薬剤などを生成させる。生物工場とも言う。

■ 遺伝子解析による個人の特定等

 人間の特定にも用いられているが、微生物の特定にも用いられている。病原菌を特定することができる。培養して検査するよりも、非常に高速に原因菌を特定することができる。

■ 癌の治療

 癌抑制遺伝子(P53など)の注入による癌の抑制。将来の課題。

■ 遺伝子病の治療

 正常遺伝子を注入することにより、遺伝子病を治療。成功例は、現時点では少ない。

■ 薬の治療のオーダーメード化

 薬物、放射線感受性などの個人差を考慮して、投与量を変更する。現時点では、体重や体表面積、年齢などを考慮して投与量を決めているのが実態である。例えば,5FUの不活性化は個人間で約10倍、6MPでは、約30倍の代謝の違いがあることが判明している。

■ 移植臓器の作成

 拒否反応を起こさせなくした臓器を、遺伝子操作で作り出す。倫理的な問題が山積みではあるが、現場の要求は強い。

遺伝子異常についてわかっていること

■ 処女生殖は可能か?  

 不可能である。性染色体のみならず、他の染色体でも、両性から受け継ぐことが必要である場合がある。女性系の2倍体は、奇形腫にしかならないことがわかっている。たとえば、小児科でよく経験する(私も1例担当したことがありますが)、プレーダーヴィリ症候群(肥満、知能低下、低身長)が発症しないためには、男性からの15番染色体と女性からの15番染色体を受け継ぐことが必要であることが判明している。

■ 男性と女性の分化の異常はXX, XYだけではない。  

 Y遺伝子上のSRY遺伝子(性決定遺伝子)が、減数分裂時の異常で、X上にのってしまったり、あるいはY遺伝子から消滅することがある。この場合、XXであっても男性、XYであっても女性となる。

■ 癌の遺伝子異常  

 白血病やリンパ腫では、転座がよく認められる。固形癌では、突然変異が多い。

■ 小児の癌  

 臓器発育の一定の時期に起きやすい。その時期を越えると、生涯起きることはない可能性が大きい。遺伝性の場合は、多発するのが特徴である。小児白血病の治療成績が良いのもこの理由からかもしれない。

■ 癌の再発の予測

 P53などの癌抑制遺伝子の異常がある場合、癌の再発が起きやすいことが判明している。再発率の予測に関しては、医師の臨牀的判断より、抑制遺伝子の異常による評価のほうが、よほど正確であるという意見もある。

■ 父親の年齢は遺伝的に問題ない?

 父加齢効果(paternal age effect)が知られており、常染色体優性遺伝(軟骨無形成症、Marfan, TreacherCollins, 進行性化骨性筋炎等)の突然変異例では、父親の年齢が高い。すなわち、父側の原因による遺伝子障害である。伴性劣性遺伝の場合(血友病Aなど)、調べてみると、母親の父(祖父)の年齢が高いことが知られている。すなわち、突然変異は祖父の時点ですでに生じている。

ガン関連遺伝子

 がんに関連したメカニズムは3つ考えられている。ひとつはガンを促進する異常、2つ目は,ガンを抑制する機構の異常、そして3つ目はDNAを修復する機構の異常である。

■ ガン促進

 塩基レベルでの障害と染色体レベルでの障害の2つの型がある。

 例えば、ras遺伝子は、わずか塩基1つの変異により(k-ras遺伝子)、細胞分裂が異常に増大してしまう(すなち発ガン)ことが知られている。k-rasは、膵臓癌で高率に認められる。他にも消化器ガンで上昇する。

 もうひとつは、染色体レベルの異常で、転座によるものである。転座による腫瘍で現在わかっているものの大部分は、白血病とリンパ腫である。他に、乳頭状甲状腺癌、ユーイング肉腫、横紋筋肉腫、軟部組織の悪性黒色腫、脂肪肉腫なども、転座が関連していることがわかっている。

■ ガン抑制遺伝子の異常

 P53(17番染色体短腕)などの異常(点変異、あるいは欠失)による大腸ガンなど。網膜芽細胞腫(13番染色体抑制遺伝子RBの異常)、Wilms腫瘍(13番染色体抑制遺伝子WT1の異常)、神経繊維腫(17番染色体NF1の異常),Von Hippel Lindau病(3番染色体VHLの異常)、家族性大腸腺腫症(APC遺伝子の異常)、家族性乳がん(17番と13番のBARC1,BARC2遺伝子の異常:ただし、遺伝性乳がんが占める割合は、全体の5%にすぎない)

■ DNA修復遺伝子の異常

 家族性大腸がん、色素性乾皮症が該当するが、修復機構が異常なので、他のガンもできやすい。

言葉の解説(本一冊になってしまうので重要なものだけ)

■ ゲノム(gene + chromosome=genome)

ゲノムとは、DNAの総体を言う。DNAの集まりのうち、遺伝情報を持っている1単位を遺伝子という。下記の文献に紹介した水島氏の定義は、”プロモーターの支配下に転写され、たんぱく質として発現するDNA上の一つのユニット”ということになる。すなわち、DNAには、遺伝子とそうではないものがあることになる。多数の遺伝子と多数の非遺伝子の集合がゲノムである。現在、遺伝子部分は5%、非遺伝子部分が95%とされている。なお、人間の場合、総塩基数は約30億個。遺伝子の種類は約10万個。

 なお、DNAは、核DNAとミトコンドリアDNA(mtDNA)の2つからなる。ミトコンドリアDNAは、ATP産生にからむ遺伝子である。ミトコンドリアDNAは、母から受け継ぐようになっている。これを用いて、ロシア皇帝の家族の確認が行われた。(祖母ー母親ー娘のミトコンドリアDNAが全く同じで、家族であることが確認された。)

■ mRNA(messenger RNA), cDNA(complement DNA)

 遺伝子DNAは、蛋白を作る時には、DNAに構造上類似したRNAを作る。これをm RNAという。このmRNAを調べることにより、DNAを推定することができる。こうしてできたDNAの構造をcDNA(complement DNA)と呼ぶ。非遺伝子部分は含まれていないので、ゲノム全体の解析には相当しない。

■ SNP(Single nucleotide polymorphisms)

 発音は、スニップ。ゲノムの中のひとつの塩基だけが違うものを言う。遺伝子の個体差には、他に、DNAの長さが違っていたり、あるいは反復数が違うものがあるが、検査の容易性を考慮すると、スニップは解析に用いやすい。現在、パブリックドメインデータとして、126万個のスニップデータのダウンロードが可能である。なお、スニップには、単なるマーカーとしてしか利用できないものと、実際に機能している部分との2種類がある。機能しているスニップマーカーをcSNP(coding SNP)と呼ぶ。

■ DNAチップ

 マイクロアレーと似てはいるが正確には違う。小さな面積の断片(チップ)の中に、DNAを並べておき、これと反応するかどうかで、該当するDNAがあるかどうかを判定する方法。一度に多数のDNAをチェックすることも可能。マイクロアレーではないDNAチップもある。(電気泳動法など)

■ ISCN核型記載(International System for Human Cytogenetic Nomencalture)

 染色体の核型の記載方法。例えば,付加染色体は add(), 欠失は del(), 派生染色体は der(), 二動原体は dic(), 重複は dup(), 脆弱染色体は fra(), 挿入は ins(), 環状染色体は r(),  転座は t()であらわす。基本的に、染色体のバンドを基準としており、これで異常がなくても、DNA解析では異常が出ることがある。ある意味で大雑把な記載方法であるが、疾患が、染色体のバンド単位で生じるケースがかなりあるので、この記載方法の理解も必要である。

■ トリプレットリピートの伸張

 遺伝子末端には、反復配列がよく認められるが、これが異常に多いため発症する遺伝病がある。Huntington病、筋緊張性ディストロフィー、脊髄小脳変性症などである。この反復は世代を重ねるごとに多くなる傾向があり、多くなるほど、重症化、かつ発症が早くなる傾向がある。このようなメカニズムをトリプレットリピート(3塩基配列)の伸張という。

■ ゲノム刷り込み(インプリンティング)

 同じ対立遺伝子(同一遺伝子)であっても、生殖細胞により、発現型があらかじめ決められる現象を言う。これの異常による起こる疾患として、プレーダーヴィリ症候群(父親アレルの欠如)やアンジェルマン症候群(母親アレルの欠如)などが有名。

■ K-ras遺伝子

 K-ras遺伝子は癌遺伝子のひとつで第12染色体短腕 上に位置し,GTPase活性をもつGTP・GDP結合蛋白であるp21をコードしている。検出は,膵臓癌の約82 %,大腸癌の約40%,肺癌の約20%でK-ras遺伝子の点突然変異による活性化が報告されており,前癌状態あるいは良性腫瘍においても同じ傾向で変異が見つかっている。これらのことはK-ras遺伝子の活性化変異が癌進展の初期に起こることを示唆しており,ヒト腫瘍において,この点突然変異の検出に有用である。(SRLハンドブックより引用)

■ bcl-2遺伝子

 bcl-2遺伝子は,TsujimotoらがB細胞腫瘍で発見し た癌遺伝子で,第18染色体長腕(18q21)に座位しt(14;18)(q32;q21)に関与している。t(14;18)転座は瀘胞性Bリンパ腫に特徴的な相互転座で,bcl-2の一部が第18染色体から第14染色体JHエンハンサーの近傍に転座して活性化され,逆にVHDMが第14染色体から第18染色体に転座している。一方Yunisらによるとt(14;18)に付加的異常が加わることにより小細胞型,混合型,大細胞型と組織像が変化し,治療に対する反応も異なるとされている。(SRLハンドブックより引用)

 

■ スプライシング

 DNAからmRNAが生成される過程で、起こる現象。DNAからmRNA前駆体が形成されるが、その前駆体は、プロモータ、エキソン、イントロンを含んでいる。このうちイントロンをはずして、エキソンの接合におきかえられ、最終的な成熟mRNAができあがる。この過程で、エキソンが多様に接合し、様々な種類のタンパク質が作られる。

■ ES細胞(Embryonic Stem cell)

 すべての細胞に分化しうる能力をもった細胞。臍帯血などに含まれており、これを保存しておけば、将来、臓器移植の元として用いることが可能となる。ただし、分化を正常に起こさせる環境、要素についての研究はこれからである。

■ 遺伝子命名規則について

 おおむね遺伝子単体が分離できた時に命名するようである。(ただし、予約することもできるらしい。)。命名には、動物や人などによって、規則があり、全貌を調べることは現時点ではできていない。以前に研究者が自分の名前を付けてしまって、すでに普及していたり、あるいは同時に複数の研究者が発見したりして、命名法にはかなり混乱があるようである。調べた範囲では、下記の命名規則がもっとも信頼できるように思われる。

NCBI(アメリカ国立バイオテクノロジー情報センター) 命名規則

■ ポジショナルクローニング法

 すでに解明されているEST(expressed sequence tag: DNAの断片情報)を用いて、健常人との違いを調べることにより、ある疾患の責任遺伝子を調べる方法。

 

参考文献・リンク

■ ヒトの遺伝 中込弥男著 岩波新書 1996年

■ ヒトゲノム 榊佳之著 岩波新書 2001年

■ "ゲノムでわかること できること" 水島・菅野純子著 羊土社 2001年
 内容は理科系の人でなければ難しいかも・・・・。しかし、非常に見通しの良い本で、今後の研究がどちらの方向へ向かうべきか記載があり、非常に示唆に富んでいます。これくらいの本は理解できないと・・・・。私は理解できないところがあるので、遺伝学の本を別に購入してきて、読むことになってしまいましたが・・・。

■ ”ヒトゲノムのことが面白いほどわかる本” 大朏博善著 中経出版 2000年
 これは初心者におすすめ、非常にわかりやすいです。社会的な意義もよくわかります。

■ 医科遺伝学 松田一郎 編 第2版 南江堂 1999年
 遺伝学の教科書。私が遺伝学を大学で習ったのは、約20年前ですが、この間の進歩は大変なもので、勉強しなおさないとわかりませんでした。昔も遺伝学は勉強するのは大変でしたが(あまりに大変なので勉強しませんでした。よく卒業できたものです。)、さらに難しくなってしまっています。あれこれ比較したわけではありませんが、基礎的概念や言葉の定義を得るには良い本だと思います。でも、読むために、ある程度の生物学の基礎知識を要求しており、一般の方が読むには難しい本だと思います。

■ 先端のゲノム医療を知る 第2版 中村裕輔著 羊土社 2001年

 東大医科研の第一人者が書いた本で、素人向けで、図も多く、非常にわかりやすい。もっとも、私の場合、他の本で勉強してから読んだのでわかりやすかっただけかも・・・。

■ Nauture Japan Genome

■ Science Genome

■ HGREP(理研と東大医科研が作成した遺伝子マップ)

  一番上に表示される染色体ナンバーをクリックすると、染色体が現れ、さらに詳細に表示していくことができる。最終的には、DNAの並びまで表示される。

■ OMIM(遺伝子疾患のマップ、Mckusick博士の臨牀遺伝学の本のオンライン版)

 私が研修医だった20年以上前にすでに分厚い本でした。今は分冊になっているのでしょうか。もう本にするのは無理かもしれません。とにかく、便利なことこの上なし。リンクしていて、自動で他のデータベースに検索にいってくれたりします。