![]()
現在、サーバー不良のため、クリックしても聴けない状態になって
います。お聴きになるときは、右クリックの「ショートカットのコピー」
で、URLをアドレス欄に貼り付けてエンターを押してください。
B級歌謡曲 な行は行
俄 雨のマロニエ通り
「にわか」と読みます。筆者のすべてのコラムの中の曲において、レコードも持っていないし、エアチェックもされていない2曲のうちの1曲。
よって、このシングルのタイトルも正しいかどうかも疑問。ジム・クロウチの「Time In A bottle」のようなメロディと美しいハーモニーが忘れられない。「俄芝居」というLPを1枚出しているはずである。だれか持ってます?
P.S.先日ようやく上記のLP見つけました。今度MUSIC FILEとして載せますね。(02.02.17)
VIRGIN VS ロンリーローラー 乗り物デラックス、詩集 (廃盤)
この曲を初めてきいた時はぶったまげた。いや、正確に言うと、このグループの正体を知ったときに本当にぶったまげたのである。この曲はさほど売れなかったので、知らない人が多いと思うが、イメージとしてはジューシィフルーツの「ジェニーはご機嫌ななめ」のような曲。そしてそれを歌っていたのが、「赤色エレジー」の”あがた森魚”。「赤色エレジー」って筆者の好みではないので、一発が出てから、『消えちゃったな』くらいにしか気に留めていなかったのであった。後から知ったことだが、赤色エレジーからも活動を続け、電子音を使った『あがたワールド』を作っていた。そして突然『A児』と名乗り、ステージでは踊りまくって「ロンリーローラー」を歌っていたのである。
ハイファイセット ハバナキャンディ
昔々、赤い鳥っていうグループがおったそうな。女性2名、男性3名のフォークグループじゃが、このコラムに出てくるグループの中ではベスト5に入るくらい有名だから、まぁ皆知っちょるじゃろ。ヤマハのコンテストで一等賞をとり、「翼をください」「河」「赤い屋根の家」などのヒットを飛ばしたんじゃが、いつの日かメンバーが音楽的な違いか、それとも愛情のもつれか、「紙ふうせん」と「ハイファイセット」に別れてしもうた。
そして、紙ふうせんの平山泰代と後藤悦治郎が夫婦となり、「冬がくる前に」のヒットを出したそうな。一方、ハイ・ファイ・セットの新居潤子と、山本俊彦も結婚して、大川茂はこのノミの夫婦の姿を眺めながら”モーリスアルバート”のカバーである「フィーリング」や「冷たい雨」、「卒業写真」などの荒井由実という今でも派手なコンサートをやっているオバサンのカバーを歌い、稼いでおった。
今でも山本潤子は昔々の「翼をください」を歌って、サッカー日本代表を応援している。めでたしめでたし。
はしだのりひこ&クライマックス この胸に
さて、ここで問題です。はしだのりひこは、フォーククルセダースを含め、いくつのバンドを作ったでしょう。
正解はたぶん6つです。「フォークル」「シューベルツ」「クライマックス」「エンドレス」の4つの他に、「ヒポポタマス」そして忘れちゃならない「ズートルビー」がある。他に知っている方いたら教えてください。
クライマックスというグループは、誰もが知っている「花嫁」の一発屋だが、一応「沈黙」「ふたりだけの旅」「この胸に」の4曲をシングルリリースしている。個人的な趣味だが、クライマックス(藤沢ミエ)よりエンドレスのおネエちゃん(林竹洋子)の方が好みだ。
P.S.クライマックスとエンドレスの間に、小学生を7〜8人引き連れた「マーガレッツ」というグループを作っていたことがあるそうです。どんな歌歌っていたんだろう。Y・Tさんより情報をいただきました。ありがとうございました。(02.12.22)
BUZZ あなたを愛して
この時代のフォークデュオは数々あったが、当時は一番このBUZZが好きだった。(今ではふきのとうが一番よかったかなと思う)「ケンとメリー(愛と風のように)」は車のCMで使用され、大ヒットした。(筆者は車といえば、バスとトラックとパトカーと消防自動車の区別しかつかないくらい、自動車音痴。よって、どこのメーカーだったかもわからない。スカイラインっていう車だったけ?)
東郷昌和と小出博志の美しいハーモニーは、上記の「ケンとメリー」「朝」「はつかり5号」などのような優しい曲が持ち味だが、筆者は「夏の空」という曲が好き。「コンサートは始まった」という曲も面白い。
パッショナータ 卑弥呼
あまりよく覚えていないのだが、フィリピンあたりから連れてこられた3人組。「日本からも本格的なソウルミュージックが必要だ。君たちはスリーディグリーズになれる」なんて口説かれて拉致されたのかもしれない。作詞作曲森雪之丞の作品だったと記憶している。
1979年なんていうと、もうディスコ通いは卒業していたけど、結構ディスコで流れたという噂を聞く。
PIA オルゴールの恋唄
今手許にあるコッキーポップ10周年の5枚組レコードを20数年ぶりに聴いている。最近「栄光のポプコン」などの復刻版がいくつか出ているが、すべて網羅されているわけではない。当時は意識していなかったのだが、中で「PIA」という聞きなれないグループ?があった。作詞作曲が「渡辺真知子」となっていたので、聴いてみるとなかなかの曲。歌っているのも渡辺真知子そのものだった。(なお、筆者は彼女は嫌い。せいぜい「唇よ熱く君を語れ」ぐらいまでしか知らないが、ロクな曲はないし、お願いされても付き合いたいたくないタイプ(苦情メール受け付けません)。)
B&B 恋のテイクスリー
記念すべきちょうど21年くらい前、漫才ブームが到来。CX系正午から現在の「笑っていいとも」の前の番組「笑ってる場合ですよ」や「おれたちひょうきん族」などから火が付き、数々の漫才師が登場した。中でもこのB&B(島田洋七、洋八コンビ)は、早口で喋るだけのいわゆる「芸」というものではなかったが、洋七出身の広島名物「もみじまんじゅ〜」で売った。筆者はこの頃岡山で暮らすこととなったが、漫才のネタで「新幹線で岡山の停車時間は非常に短いため、岡山の人はみんな顔の両側に縦のキズがある」というのを信じて出向いたが、そのようなキズは一人として発見できなかった。(当たり前だろ!!)
ところで、「おれたちひょうきん族」の「ひょうきん」のロゴが、昔の「兵庫相互銀行」(今は潰れちゃった)のロゴにそっくりだったんで、大笑いした記憶がある。
ビーナス イブの匂い/偽りの愛
1974年、後の一発屋となる「ザ・ヴィーナス」の前身となるグループ「ビーナス」が「イブの匂い」という曲でデビューした。メンバーは小野智(vo)竹屋一水(g)村井直美(ky)中西隆士(bass)永井光男(ds)というむさ苦しい男5名で構成された。シングル1曲で終わってしまったこの曲は、これぞ歌謡曲といった曲で、たかたかし作詞馬飼野康二作曲。今だったら、カルトGSとしてCDが発売されそうな小野智の甘ったるいボーカルと、ファルセットを中心としたバックコーラスが、当時は(も?)賞賛されず、いつの日か闇に消えていった。(ヴィーナスその1に続く)
ヴィーナス(その1) シャーロックホームズを捕まえて 君はマリンの風
TODAY(LP)
上記ビーナスの失踪?から5年後の1979年。「ヴィーナス」というグループが「シャーロックホームズを捕まえて」という曲で再デビュー。メンバーはオリジナルメンバーから小野と村井が抜け、スクールメイツ出身の阿部明美、石川幸子の女性2名とキーボードとして下平正明を加えた6名となる。
今度のヴィーナスは、1曲で終わることなく、「ハローラブ」「サマードリーミング」「あなたがいれば」「君はマリンの風」と立て続けにシングルをリリースし、ビートルズのアビーロードにも負けない不朽の名作「TODAY」というLPまで出した。「サーカス」に決してひけをとらないハーモニーと、フィルスペクターのようなアレンジで、小さなライブハウスでじっくりゆったりと聴いていた観客のパラパラという拍手と涙を誘った。
そして、1980年、デビュー時に新人レースで桑江知子に負けたのが原因か、日清カップヌードルCMソングを浜田省吾に取られたのが原因かはわからないが、竹屋が脱退し、若いJIMMYというにいちゃんを加え、新たに突然レスリーゴーアのカバーである「涙のバースデーパーティ」という曲を発表し、あらぬ方向に走り始めるのである。(一発屋編ザ・ヴィーナス(その2)に続く)
ヒデ&ロザンナ 涙のシンフォニー
カラオケって最近行く機会が減ったが、同世代の女性とデュエットする時は、ヒデ&ロザンナの「愛の奇跡」をよく歌う(本当は「愛情物語」とか「トマトの家」の方が好きなんだけど、女性が歌えないし、そもそも曲がない)。筆者が物心ついて、初めて出会った歌謡曲男女デュオがこのヒデ&ロザンナ。
ヒデこと出門英は元々「ユキ&ヒデ」というボサノバ・デュオで活動していた。 (ちなみにユキとは、「悲しみは駆け足でやってくる」のアン真理子。彼女もボサノバという雰囲気ではないが・・・)その後、イタリアンのロザンナ・ザンボンとデュオを組み、デビュー曲の「愛の奇跡」をヒットさせ、ロザンナと結婚。ロザンナは紅白歌合戦初の外国人歌手として出場。ロザンナは子育てのため表舞台から遠ざかっていたが、ヒデは小柳ルミ子で唯一の名曲「星の砂」(作詞:ご注文はどっちの関口宏)を書くなど作曲家としても活躍していた。1990年、ヒデは結腸ガンにより逝去。享年47。
火の鳥 叫んでみたら
主に作詞を『なかにしれい』、作曲とプロデュースを村井邦彦が担当。この作曲はメンバーのひとりである高階真。青春色のファンタジーという唯一のLPも、村井邦彦、佐藤健などの作曲と瀬尾一三のアレンジも生きてきておらず、この「叫んでみたら」以外は聴くべきものはない。しかし、結果的にはこの「叫んでみたら」だけのためにLPを買ったことになったが、後悔はしていない。
ピンクピクルス 一人の道
昭和39年、アジアで初のオリンピックが東京で開催された。バレーボールでは”東洋の魔女”(最近は結構かわいい子も多いけど、当時のメンバーは本当に魔女だった)が金メダル、体操ニッポンなどもまだ健在で、日本選手のメダル獲得に大人たちは素直に喜んだ。その中で陸上の花、マラソンで円谷幸吉が銅メダルを獲得した。優勝した”アベベ”は前回のローマ五輪で、裸足で走り優勝した選手で、東京では靴を履いていたが、2大会連続の金メダリストとなった。一方円谷は、国立競技場に入るまでは2位だったがトラックでの最後の一周で抜かれ3位となった。
円谷は怪獣映画を作っていたわけではなく、自衛隊に勤務しており、2位とか3位って中途半端な順位では許されなかったのか、どのようなプレッシャーが彼を襲ったかはわからないが、「もう走れなくなりました」という主旨の遺書を残し、自ら命を絶った。この曲はその円谷を歌った歌である。
2年くらい前、テレビ東京の「開運なんでも鑑定団」という番組を見ていたら、島田紳介がこの曲の歌詞をソラで紹介していたことがあり、驚いた記憶がある。
フォーリーブス 人生は一度きりだから
『マグマ大使〜ピキピキピー、ピキピキピー』とやっていた村上マモル少年役の江木俊夫、そしてあんまり目立たなかった北公次は薬に手を出しお縄となった。(なお、2回笛を鳴らすとやってくる、モル役の應蘭芳は官能小説のような歌を歌ってた)
オールスター水泳大会での司会のイメージが強いおりも政夫と一番男前だった?青山孝はどうしているのだろうか。ジャニーズ事務所の井上純一、ひかる一平、豊川誕(どうしてオマエはトヨカワタンじゃないんだ。そう言えば君も薬で御用となったな)なんていう連中もいつのまにか消息はわからなくなっている。
しかし、最近はジャニーズ事務所も昔と違って、いろいろやらせるよな。TOKIOやSMAPも、君たちそこまでやらなくていいんじゃないっていうくらい身体張らされている。
一時代を築いたフォーリーブスも、薬に手を染めたせいかCDでの復刻版にはあまりお目にかかれない。男闘呼組だって、一応CDそろっているのに。(結構男闘呼組って好きだった)
「パクリか?空耳か?気のせいか?」に掲載
深野義和 あなたを乗せない船
筆者はこの方を知りません。いろいろ調べてみましたが、演歌系の歌手にこの名前の方がおりました。ただ、エアチェックのテープにポツンとあった曲ですが、演歌ではありません。
この曲は泣けます。本当に涙が出ました。『詞』というものはほとんど気にしない筆者ですが、これは『詩』です。それにやさしいボーカルと、女性バックコーラスが見事にマッチしてます。デジタルで聴きたいです。
P.S.
先日、「深野義和」というサイトをたまたま見つけ、半信半疑でBBSにて情報を募ったところ、ご本人より直々に情報提供がありましたので、ご紹介します。
☆よくいらっしゃいましたあ!
それは間違いなく私のデビュー曲です。
昭和53年5/25にテイチクブラックレーベルから発売されました。当時私はサラリーマンと二足のワラジをはいたシンガーソングライターで、ちょうどニューミュージックというジャンルの創設期にあたります。
涙がでるほど美しい曲などと言っていただき感謝感激です。残念ながらCD化はされていません。超廃盤です(笑)。
今、仕事の関連もあって、デジタル化をすこしづつ進めています。そのときにはぜひ聞いてくださいね。Gajala-GajeliさんのHP、楽しく拝見しました。とても感心しています。すごいなあ。
私は今フリーランスで曲の制作、DJ、ライブなどをしています。このHPは作者のプロフィールもない特殊な(笑)とこですがまた遊びに来てくださいね。どうもありがとう。 深野義和
なお、福娘紅子さんからも情報をいただき、深野さんは当時からオールナイトニッポンのパーソナリティーや東京キッドブラザースの音楽も担当しており、今もT−FMの「ローソン・カウントダウン・ジャパン」というラジオ番組の司会、東京と大阪のライブハウスでの活動、日本脚本家協会の作詞講座の講師を勤めたりしているそうです。(2001.8.13)
先般、ライブ行ってまいりました。よかった・・・。
ポップコーン ブルーロマンス薬局
「ブルーロマンスファーマシー」と読む。スター誕生出身では唯一の兄弟(というか姉と弟)のデュオ。デュオといっても美しいハーモニーがあるわけでもなく、学芸会そのもの。太めの二人はテレビ的にアイドルとして耐えられるものではなかったようで、この一発(誰も知らない一発)で消えていった。
まだ同じポップコーンでも双子の漫才師の方が、野球がうまかった分、食いつぶしが効いたようである。