THE 一発屋あ行
★☆☆☆☆   本当に一発もあった?
★★☆☆☆   君は二発屋かな
★★★☆☆   世間では一発屋と呼ばれているが、あなたは違う
★★★★☆   もう少しで正真正銘の一発屋
★★★★★   君こそ本当の一発屋!!
藍美代子   ミカンが実る頃    ★☆☆☆☆
「コロンビア全国歌謡コンクール」で優勝し、その後NET(日本教育放送、現:テレビ朝日)の「スター誕生」パクリ番組である、「あなたならOK」という番組でチャンピオンとなり、上記の曲でデビュー。演歌とも歌謡曲だかわからない曲と、アイドルで売り出すのか本格的な歌手として売り出すのか、どちらともつかない中途半端な売出し作戦により、見事に地味な一発で消えていった。
その後アニメソング「星の子チョビン」というものを歌うが、現在の消息は不明。
あがた森魚    赤色エレジー   ★★★☆☆
URCの最初のヒット曲。あがた森魚を語るには、”蜂蜜ぱい”から語らないといけないでしょう。ビートルズの「ハニーパイ」をもじってつけられたこの”蜂蜜ぱい”は、後のムーンライダース前身となったバンドで、鈴木慶一とあがた森魚の2名を中心に結成された”あがた精神病院”まで遡る。1971年からはあがた森魚はソロ活動が中心となり、この大正ロマンをコンセプトとした「赤色エレジー」がヒットした。そしてこの曲のバックは”蜂蜜ぱい”が務めた。
当時は、「TVに出るのはフォークシンガーじゃねぇ」っていう時代だったが、 あがた森魚は音楽番組以外にも出演し、ニコニコしながらこの唄を歌っていた。玉置浩司会の象印提供のものまね番組で(象印賞!!っていうやつ)、東海林太郎の全然似ていないものまねをジーパンに下駄履きで歌っていた姿を思い出す。衣裳はこれしか持っていないんだからしょうがないか。
ただ、後に、A児と名乗り、VIRGIN VSを結成し、踊っていたのはビックリたまげたね。
あのねのね   赤とんぼの唄   ★★☆☆☆
赤とんぼの唄がヒットしたのは1973年。よく考えてみると、それぞれピンで活躍しているがまだ解散していないんだって。清水國明、原田伸郎フォークデュオ・グループではあるが、大学の落研で知り合ったというようにまともなフォークではなかった。「赤とんぼの唄」「魚屋のおっさんの唄」などのヒット曲で、全盛期は武道館を満員にしたこともあった。筆者も今から考えると「何でこんな奴らのコンサートに行ったんだろう」と思うのだが、武道館で「大きな栗とリスの唄」なんぞを、みんなで合唱した記憶がある。
 不思議なことに、この人たちを踏み台にメジャーになっていった人も多く、ブラザーコンは彼らの弟子。とんねるずの石橋貴明も弟子入りに志願したらしい。更に驚くことにあの小室哲哉がバックバンドの一員だったこともあるし、ユーミンが彼らの前座だったこともあるというウソのような本当の話しも。
実は筆者は、「そのねのね」という名前で出した「愛の調べ」という橋本淳、すぎやまこういちコンビの曲が気に入っている。レコードジャケットはベルサイユの薔薇風で、”あのねのね”のレコードとはとても思えないのだ。
清水は現在アウトドア評論家のような仕事もやっており、チェーンソーを持たせたら芸能界一のログビルダー。国際A級ライダー、釣人としても有名。何年か前、奥さんであった清水クーコを癌で亡くした。原田は何年か前女優の高倉美貴と結婚して話題になった。
あみん   待つわ   ★★★★★
ポプコン出身一発屋。ポプコングランプリ受賞して一発屋じゃない人って中島みゆきとツイストくらいか?
岡村孝子はそこそこ有名になった。今ロッテマリーンズの石井浩郎が近鉄バッファローズ時代にケガをした時彼女の曲に感激して、ファンレターを送りそれがきっかけとなり結婚したそうだ。もう一人(名前知らない)も一児の母となっているらしい。
テレビで彼女たちを見るとあの古臭いステップも違和感があったが、ふたりの顔の大きさが対照的で見るたびに笑ってしまった記憶がある。なにしろ倍くらい違うんだよね。
ところでこの曲は、「ストーカー」という言葉がない時代に生まれた曲だが、今だったら野口五郎の「私鉄沿線」と並んで非常に危険な曲であるかもしれない。
アラジン  完全無欠のロックンローラー   ★★★★★
昭和56年のポプコングランプリ受賞曲。ポプコングランプリってだいたい一発が相場であるが、これは出た瞬間から一発で終わるなという、先が見えていたグループ。ポプコンって、えら〜い審査員の個人的な道徳観によって決定されると思っていたが、この手の演出を含めた曲がグランプリを取ったのはあまり例がないので意外であった。この作曲者である高原茂仁はポールモーリアや小椋佳が好きという話しは、この曲と2曲目の「ロックンローラー大放送」くらいしか知らない筆者にとっては、想像できない。
たまにテレビのバラエティ系の番組で出てくるが、名古屋と大阪の違いはあるものの、円広志とどうしても『ポプコン一発屋』『お笑い作曲家』という同類項があるためどうしてもダブってしまう。
安西マリア  涙の太陽   ★★★★☆
1973年日本レコード大賞新人賞。当時イニシャルが「AM」のアイドル歌手がやたら多かった。麻丘めぐみ、天地真理、浅田美代子、梓みちよ(ちがう)浅香光代(ちがうちがう)。この年の新人賞は、安西マリア、浅田美代子、あべ静江、アグネスチャンと、全員苗字は「あ」で始まっていたという、将来な〜んの役にも立たないことを覚えている。安西マリアはその後、松田優作の映画に出演したあと、男と失踪したという噂。
さて、安西マリアがどうこうよりも、この「涙の太陽」の歴史的な意味について少し触れてみたい。この曲は1965年”CBSコロンビア(!!)”から”エミージャクソン”(本名エミーイートン)なるイギリス系の歌手によってリリースされた曲である。どうしてこれが歴史的かというと、今でこそ誰がどんな人にも曲を提供できる時代だが、当時、作詞家作曲家はレコード会社の専属で、他のレコード会社の歌手には、おいそれと曲が書けなかったのである。この曲はフリー作家、助川和子(湯川れい子)作詞、中島泰(中島安敏)の作曲であるが、専属作家との無用の軋轢を避けるため、歌詞をわざわざ英語にし、邦楽レーベルではなく、洋楽レーベルから発売したとのこと。この曲は大ヒットとなり、”和製ポップス”第一号となった。この曲が出なかったら、”つんく”がモーニング娘に曲を書くのもダメだったかもしれない。
エミージャクソンは今も現役でライブ活動を行っている。
アン真理子   悲しみは駈け足でやってくる   ★★★★☆
明日という日は明るい日と書くのね〜♪若いという字は苦しい字に似てるわ〜♪新宿駅で「私の詩を買ってください」という女の子がよく立っていたが、その詩集はこんな言葉が書いてあるのかナァ。
アン真理子は「ユキ&ヒデ」というボサノバ・デュオで”ヒデ&ロザンナ”の出門英と一緒に活動していた。(ヒデ&ロザンナの「笑ってごらん子供のように」は佐藤由紀(アン真理子)作詞で「ユキ&ヒデ」時代の作品。)その後1969年にこの曲を出すのだが、この曲はレコード大賞編曲賞を受賞した。この年のレコード大賞は佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」最優秀新人賞がピーターの「夜と朝の間に」。他にも歌唱賞に「人形の家」、「ひとり寝の子守唄」、作詞賞に「禁じられた恋」と、唯一、大衆賞の「365歩のマーチ」があったものの、くら〜い曲のオンパレードであった。
五十嵐浩晃   ペガサスの朝   ★★★★★
明治チョコレートのCMソング。北海道出身。ナイアガラトライアングルVol2に入るはずだったのが杉真理にとって代わられた。以外情報なし。消息不明。いいですなぁ。堀江淳やアラジンや円広志のように中途半端よりも、これくらいきれいにいなくなるのは、一発屋の鏡ですぞ。
P.S.今は代議士センセイのダンナとなっているそうな。
石川ひとみ   まちぶせ   ★★★☆☆
投資ジャーナル絡みの愛人スキャンダルを起こした倉田まり子と確かに似ている。ただ、当時の筆者も若かったから違いがわかった。今はさすがに、たんぽぽ、プッチモニ、赤組、青組、黄組?の区別はつかない。いっぱいいればモーニング娘だとわかるんだが・・・。
筆者のコレクションには、「まちぶせ」の他に、「右向け右」「くるみ割り人形」「サンシャインモーニング」「プリンプリン物語」と数多く入っているので、一発屋という感じはしないのだが、他のすべての曲を合計しても「まちぶせ」一曲に売上が及ばないということなので、一般の認識としては一発屋なのだろう。正統派アイドルとして3年ほど芽は出ず、荒井由実作で、三木聖子が歌った「まちぶせ」をリメーク。紅白に出場するまでに至ったが、その後鳴かず飛ばずで昭和62年にB型肝炎で入院。夫となる山田直毅に支えられ、復帰を果たした。闘病生活とB型肝炎の偏見等を綴った「いっしょに泳ごうよ」は現在絶版に近い状態となっている。
伊丹幸雄   青い麦   ★★★★☆
伊丹幸雄は、ワイルドワンズのボーヤ出身。その後「青い麦」という一発を当てた。このころのオジサンオバサンは、伊丹幸雄と城みちると荒川務とあいざき進也の区別がつかなかったんだろうな。ところで、ローズマリーというグループを知っている?元オックスの岡田史郎、福井利夫を中心に結成され、発足当時のオリジナルメンバーには、東冬木(今をときめくモト冬木)などがいた。元GSメンバーが作った曲が多く、活動期間は長かったが、ヒット曲はほとんどないためあまり知られていないが、一時期この伊丹幸雄も在籍していたことがある。筆者はうる覚えなのだが、「おれたちひょうきん族」という番組で結構出ていなかった?
伊丹幸雄は、あいざき進也や元青い三角定規の西口久美子なんかとも現在もライブをやっているという情報があるが、今更別に見に行こうとは思わない。彼は数少ない筆者と誕生日が一緒のタレント。
「パクリか?空耳か?気のせいか?」に掲載
伊丹哲也&Side by Side   街が泣いてた   ★★★★☆
第19回ポプコングランプリ曲。ポプコングランプリの中では一番地味という批評があるが、筆者はそうは思わない。グランプリ制度ができてから、第8回の「チャップリンに愛をこめて」第9回の「わたり鳥」第12回の「鐘」第15回の「10月の汐吹は寒かった」第17回の「流浪」の歌手を言える人って、関係者以外ではほとんどいないはず。
この曲は前回グランプリ、クリスタルキングの夢よもう一度という感じの曲で、独特のダミ声はなかなか迫力あった。しかし、確かにキャニオンレコードって、プロモーション下手だったという評判はあったが、同じ大会で優秀曲賞だった雅夢の「愛はかげろう」の方がヒットしたよね。
この曲を知っている人、カラオケで最後の「街が泣いてた〜♪」の部分を「俺が大将〜♪」ってマッチ風に歌ってごらん。おんなじだから。
「パクリか?空耳か?気のせいか?」に掲載
一風堂   すみれSeptember Love  ★★★★☆
1966年のビートルズ来日により長髪が流行したが、当時の大人達は長い髪の若者を許せなかった時期があった。筆者は1970年代後半、長髪であったが、大人になった今、男の化粧が許せないというのはやっぱりおじさんになった証拠であろうか。
今でこそ男が化粧をするのは当たり前の時代になったが、元祖ビジュアル系といったら彼らであろう。当時の筆者から見ても、リーダーの土屋昌己の化粧というのは研ナオコよりひどくぞっとするものであった。まだこの曲をカバーしているSHAZNAのIZAMの方がよっぽど見られるが、男の化粧イコールオカマという図式は筆者の意識の中では生きている。
デビットボーイ・T−REXが元祖であろう「男のヘンな化粧」は彼ら”一風堂”を通じて、今のビジュアル系バンドにしっかり引き継がれている。(ところで、”いっこく堂”って彼らのファンだったのかなぁ)
彼らはイギリスの『JAPAN』というグループ(アメリカには『AMERICA』というグループだってある)のツアーに参加していたくらい実力派であり、メンバーの見岳章などは、美空ひばりの「川の流れのように」などを作った大作曲家。
伊藤咲子   ひまわり娘   ★★☆☆☆
彼女も一発屋というのではないはずだけど、あまりにも「ひまわり娘」が有名なので、ご登場願いました。だって、彼女の物まねって絶対黄色い服着て、マイク両手で持って上半身を斜め上交互に上げながら「だれのーためにー咲いたの〜♪」ってやるじゃない。
浅野ゆうこ、片平なぎさと並び、ポスト中3トリオと呼ばれたこともあったが、今じゃ他の2人に比べ、物まねのご本人と一緒で登場するくらいしか見かけなくなった。スナックのママさんやってんだって?一時”城みちる”とカップルにされたこともあったっけ。しかし、彼女のヌード写真集も出たが誰が買ったんだろう。
本名の伊藤咲子がこの「ひまわり娘」のコンセプトとたまたま一致していたというのが、結果的に成功だったかもしれない。何曲目かは忘れたけど、「たそがれに愛をこめて」という曲は名曲であった。
伊藤敏博   サヨナラ模様   ★★☆☆☆
歌う銀行員が小椋佳。そして歌う国鉄職員がこの伊藤敏博。富山県出身で当時北陸本線を中心に乗務していた。第21回ポプコングランプリ曲。『ザ・ベストテン』でよく富山の駅から中継をやっていたが、田舎の兄ちゃんという感じだった。セカンドシングルで国鉄のトクトク切符を扱った「青春18」は結構いい曲だったが、国鉄がJRとして民営化され、それに伴い国鉄ともサヨナラし、今は地元で細々とタレント活動をやっているらしい。
ところで、東京周辺の国鉄は国電と呼ばれていた。JRに民営化した頃、この国電の名称が公募された。小林亜星などが審査員を務め決まった名称が「E電」。今ではすっかり死語となっている。
因幡晃   わかってください   ★★★★☆
第10回ポプコン優秀曲賞。グランプリは中島みゆきだった。なぜか今まで彼は鳥取出身と勘違いしていたが、(因幡の白うさぎのせいか)実は秋田県出身。どうもこの手の曲は苦手である。別に曲調がマイナーでもいいんだけど、美しいハモがないとね。
筆者が若い頃、政府の弾圧があったわけではないが、「好きなアーティスト(昔はアーティストなんて言わなかった)は因幡晃と山崎ハコと中島みゆきとさだまさし」なんていったら、今ほど陰険ではないにしろ、必ずいじめにあっていた。そのため、隠れキリシタンではないが、アンダーグラウンドの世界でひっそり聞いていた人たちを何人も知っている。
「中島みゆきが好き」といっても、逮捕されなくなった時代になって本当によかった。(笑)
岩井小百合   ドリームドリームドリーム   ★☆☆☆☆
いわいさゆり・・・ヒット曲ヒット曲・・・どれだどれだ?コレクションに4曲ほど入っているが、ヒット曲って一曲も知らない。標記の曲がカラオケに入っているからこれかな?ボビー・ダーリンの「ドリーム・ラバー」を思わせるが、なんとなく好きだった。横浜銀蝿のマスコットガールっていう点を除けば、なかなかいいアイドルだった。
子役からデビューし、いまじゃ結婚もしないでレポーターなどをしながらのタレント活動。彼女らしき人が書いたパチンコ必勝法の本まで出ているのにはびっくり。
太田裕美   木綿のハンカチーフ    ★★★☆☆
真の太田裕美ファンには一発屋じゃないって怒られるだろうけれど、10人中7人は「木綿のハンカチーフしか」知らないだろう。物まねだってこの曲しかやらないし・・・。ってこじつけてわざわざ太田裕美を載せたのは、ちょっと苦手ではあるが、”はっぴいえんど”を登場させたかったから。別に彼女の実家である埼玉の寿司屋に義理があるわけではない。
”はっぴいえんど”は大滝詠一、細野晴臣、鈴木茂、松本隆の4人で69年から73年までの活動であった。URC(アンダーグランウドレコードクラブ)レーベルからもわかるように、まだまだマイナーなグループであったが、日本のロックをオーバーグラウンドにした先駆者としてそれ以降のミュージシャンたちに大きな影響を与えた。
解散後、それぞれソロで活躍しているが、中でも”はっぴいえんど”時代から作詞を担当していた松本隆は、その後作詞家一本として活動。太田裕美のデビュー曲「雨だれ」から一連の詞を提供し、作詞家松本隆としては、この「木綿のハンカチーフ」が最初の大ヒット曲となった。
尾崎紀世彦   また逢う日まで   ★★★☆☆
彼は一発屋ではない。「さよならをもう一度」や「愛する人はひとり」などは名曲である。だけど、ブルーコメッツと一緒で、レコード大賞を取っちゃうとどうしても一発屋のイメージから抜け出せないんだよね。レコード大賞って別にレコードが一番売れたというのではなく、レコード会社の営業レベルというか、今の政権党のように密室で決まっていった。
なお。元々この「また逢う日まで」はズーニーブーの「ひとりの悲しみ」という曲の歌詞を変えたもの。
エンゲルベルトフンパーディンクやトムジョーンズを思わせるようなルックスと歌唱力は当時の日本にはいなかったタイプであったが、下積みも経験しており、文献によればウルトラセブンのテーマ曲オープニングで、(セブン〜セブン〜セブン〜セブン)の3番目のセブンを担当するバックコーラスをやっていたらしい。
最近では「夜もヒッパレ」なんかで見かけることもあるが、彼ほどの大御所になれば、ディナーショーで結構食っていけるんじゃないのかな。

青い三角定規、あおい輝彦、麻生ようこは、B級歌謡曲に登場しております。