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THE BEST MUSIC D−1
DAMITA JO (ダミタ・ジョー)
IF YOU GO AWAY
22位となった「I'LL SAVE THE LAST DANCE FOR YOU(ラストのダンス)」(ドリフターズ「SAVE THE LAST DANCE FOR ME」)や、12位となった「I'LL BE THERE」(ベン・E・キング「STAND BY ME」)などのアンサー・ソングをヒットさせたダミタ・ジョーであるが、こちらはアル・ヤンコビックとは違い、正統派アンサー・ソング。
38年に結成されたスティーブ・ギブソン&ザ・レッド・キャップス(「SHLHOUETTES」という曲で57年にスマッシュ・ヒットを記録)に加入し、51〜53年、59年〜60年にはリード・シンガーとして活躍。そのままスティーブ・ギブソンと結婚。ソロになって「ラストのダンス」の成功に気をよくして?ついでにベン・E・キングへのアンサー・ソングも発表してしまう。
さて、元々フランスのジャック・ブレルの代表曲である選曲の「IF YOU GO AWAY」(68位)だが、日本ではウォーカー・ブラザーズバージョンが一番有名。日本人も誰かが「行かないで〜♪」って歌っていた。
ちなみに、ジャネット・ジャクソン(去年のスーパー・ボウルの生放送で、オッパイ丸出しやっちゃったな)のミドル・ネームがダミタ・ジョーということで、同名のタイトルのアルバムを出している(筆者は聴いたことないが)。
(05.01.30:No.483)
DAN FOGELBERG (ダン・フォーゲルバーグ)
THE POWER OF GOLD
70年代後半から80年代のAOR全盛時代。ダン・フォーゲルバーグをAORのカテゴリーに入れると異論のある人もいるかもしれないが、筆者の中ではAORの第一人者(意味不明な表現)。
イリノイ大学では何故か絵画専攻をしていたが、中退して音楽の世界へ。クラブ出演などを経て「ホーム・フリー」というアルバムを制作。その後ロジャー・マッギン、ランディ・ニューマンなどと仕事をこなし、75年に「PART OF THE PLAN」が31位のヒット(後のイーグルス、ジョー・ウォルシュがギター、グラハム・ナッシュがコーラスで参加)。79年以降には「LONGER」(2位)、「SAME OLD LANG SYNE(懐かしき恋人の歌)」(9位)、「HARD TO SAY(風に呼ばれた恋)」(7位)、「LEADER OF THE BAND(バンドリーダーの贈りもの)」(9位)のトップテンヒットを放っている。
選曲の「パワー・オブ・ゴールド」はフルート奏者であるティム・ワイズバーグと共演した曲で、バックコーラスにドン・ヘンリーが参加している。
なお、76年に「RAIN, OH RAIN」(71位)のスマッシュヒットを放ったフールス・レインというグループはダンのバックバンド。
(07.03.18:No.536)
DANIEL BOONE (ダニエル・ブーン)
BEAUTIFUL SUNDAY
ダニエル・ブーンっていうと、アメリカの有名な開拓者にそういう人がいたそうであり、その名にちなんでダニエルブーン国定公園なんていうのもあるらしい。はたまたバーボンにもその名前がついているということで、このコラムを書くために「資料集め」と屁理屈を自分自身で付け、知り合いのショットバーまで出かけていった(なんじゃ、それ)。
さて、日本でもオリコン1位となった「ビューティフル・サンデー」のヒットを持つダニエル・ブーンは、イギリス・バーミンガム出身。本名はピーター・リー・スタリングといい、ミュージシャンの父親の影響もあり幼いときからギターを学び、様々なグループ、セッション参加。マージービーツの「I THINK OF YOU」(全英5位)、「DON'T TURN AROUND」(全英13位)やキャシー・カービーの「I BELONG」(全英36位)などを提供。自身の初ヒットはウェイン・ニュートンと競作となった「DADDY DON'T YOU WALK SO FAST(行かないでダディ)」(全英17位)。そして日本で今も歌い継がれているあの「ビューティフル・サンデーが全米15位、全英21位のヒットとなった。
さて、この曲は日本ではTBSの朝の番組「おはよう720」で使われヒットし、同番組出演中であった元『うたのお兄さん』田中星児のカバーもヒット。
しかしながら、クニ河内(クニ河内の弟、ハプニングス・フォーのメンバー)率いるトランザムというグループ(「俺たちの勲章」、「俺たちの朝」など日本テレビ系のドラマの主題歌も手掛けた)も松本隆の訳詞でカバーしている。ちなみに彼らの歌の歌い出しはこんな感じ。
『隣に住んでる下宿屋のマドンナ、ヘイ・ヘイ・ヘイ出ておいでよ〜♪』
(06.03.18:No.512)
DANNY WILLIAMS (ダニー・ウィリアムス)
WHITE ON WHITE
南アフリカで生まれ、イギリスに渡り、イギリス版ジョニー・マーティスの異名をとったダニー・ウィリアムス。
59年に「TALL A TREE」でデビュー。61年に「ティファニーで朝食を」で有名な「MOON RIVER」が全英1位を記録し、一躍トップスターとなった。
「ホワイト・オン・ホワイト」は、けっして歯磨きのコマーシャルソングではなく、かつての恋人が他の男との結婚式の状況を歌った曲で、花嫁の白いレースを表現している。本国イギリスではヒットしなかったが、全米では9位を記録。メロディ・ラインも素敵だが、特に女性コーラスが美しい。
64年のヒットということで、筆者の記憶に残っているわけないんだが、幼い時に聴いたような気がどうしてもしてならない曲である。
(01.03.11:No.311)
THE DARTS (ダーツ)
DADDY COOL
イギリスのオールディーズリバイバル専門のグループ。イギリスではクロウズの「COME BACK MY LOVE」や、ジーン・チャンドラーの「DUKE OF EARL」を全英トップテンに送り込むなど活躍していた。
日本で彼らが一番有名なことといえば、ざ・ぼんちがヒットさせた「恋のぼんち・シート」がダーツが歌った「ダディ・クール」にそっくりだったこと。作曲者近田春夫の裏番組でラジオをやっていたビートたけしが、この盗作疑惑を自分の番組でスッパ抜いた。近田はあっさりこれを認めて、「パクリ」という言葉が定着したとのことである。一躍ネタ元であるこのダーツも時の人となり来日が実現、お詫びに近田は彼らにオリジナルの「恋のシュラシュシュ天国」を贈ったとのこと。
さて、筆者の別のコーナーの幕開けともなっているこの曲であるが、オリジナルは、リトル・ダーリンでもお馴染みのダイヤモンズ(たぶん)。ダーツでのリバイバル盤は全英6位を記録している。
(No.72)(05.01.30:re-write)
「パクリか?空耳か?気のせいか?」に掲載
DARYL HALL & JOHN OATES (ダリル・ホール&ジョン・オーツ)
SHE'S GONE 追憶のメロディ
ダリル・ホール&ジョン・オーツが大学時代に知り合ったのは1967年。ホールはいろいろなアーティストのバックを務め、72年にオーツとデュオを組みデビュー。これは不発だったが74年に「追憶のメロディ」がようやく60位にチャートイン。76年にホールのガールフレンドのことを歌った「SALA SMILE(微笑んでよサラ)」が4位のヒット。年末には「追憶のメロディ」がリバイバルで再評価され7位、翌年には「RICH GIRL」でトップワンに輝いた。
この後、84年までに「KISS ON MY LIST」、「PRIVATE EYES」、「I CAN'T GO FOR THAT (NO CAN DO)」、「MANEATER」、「OUT OF TOUCH」と計6曲のトップ・ワンヒットを記録。これはエバリー・ブラザーズの4曲を抜き男性デュエットとして最多トップワンヒットである。
どちらかというと、80年以降の活躍が大きいので、あまり彼らの曲は数多くしらないけれど、ドラマティックなバラードの「追憶のメロディ」を選曲。
(No.73)(04.04.25 re-write)
DAVE "BABY" CORTEZ (デイブ・ベイビー・コーテッツ)
THE HAPPY ORGAN
またまた筆者の生まれた頃の曲の紹介になる。59年5月に4曲目のインストゥルメンタルとして、また、黒人アーティストとしては初めてこの「ハッピーオルガン」が全米1位に輝いた。デイブはパールズというR&Bコーラスグループ脱退後、この曲を書いたが、当初の予定はピアノ演奏する予定であった。しかし偶然スタジオに置いてあったオルガンで演奏してみたところ、面白い出来になったため、題名まで「ハッピーオルガン」と変えてリリースをしたところ、大ヒットとなる。
若い人も(本人はまだ若い気でいるが)意外にどこかで聴いたことのある曲だと思うよ。オルガンだけのインストだから。(昔教科書に載っていた曲に似ているんだけど、思い出せない。)
(No.74)
DAVE BRUBECK (デイブ・ブルーベック)
TAKE FIVE
このコラム、正統派のジャズもやるんだ・・・。
ジャズの世界は良く知らないんだけど、やっぱりデイブ・ブルーベックって白人ジャズではピカイチでしょう。自分がジャズ喫茶でブルマンなんか飲みながら(「ブルマかぶりながら」じゃないぞ)タバコを燻らしニヒルに決める姿を想像すると、我ながらかっこいいね。
ピアノを自在にあやつるデイブ・ブルーベック、サックスのポール・デズモンド、ベースのジーン・ライト、ドラムのジョー・モレロのカルテットは、ウェストコースト・ジャズの旗頭となり、史上に残る名コンポ。
正直言って、他に有名な曲はいっぱいあるんだろうけど、この「テイク・ファイブ」しか知らない。ドラムもサックスも見事である。ブルーベックのタイムアウト(変拍子)シリーズの最初の曲であり、この曲は5/4拍子。よくこんなリズムでスイングできるなと感心した記憶がある。他にも7/4とか11拍子なんていう曲もあるらしい。
(No.75)
THE DAVE CLARK FIVE (デイブ・クラーク・ファイブ)
DO YOU LOVE ME
デイブ・クラークがラグビーチームの遠征費を工面するためにグループ結成したことが、ビートルズに次ぐ人気を誇ろうとは思わなかったに違いない。しかし、クリフ・リチャードにしても、このDC5にしても、日本ではどうして評価低いんだろう。版権の関係からかよくわからないが、日本でのCDはなかなか見つからない。イギリスでは9曲のトップ20ヒットに対し、米国では14曲のトップ20を叩き込んだため、アメリカの人気が本国イギリスを上回っていたとのことだが、いやいやどうして立派なもんじゃないか。
デイブ・クラークとマイク・スミスの共作が多かったが、デイブのドラムスとマイクのR&Bをベースにしたボーカルがうまくミックスされ、3声ハーモニーも聴ける。また、アメリカ進出した他のイギリスのグループとは違った編成(テナー・サックスとキーボードを加える)の、リバプールサウンドに対抗するトッテナム・サウンドはいつ聴いても新鮮である。
日本では彼らの「GLAD ALL OVER」や「BECAUSE」などの評価が高いが、ここではイギリスでの最初のヒット曲「ドゥ・ユー・ラブ・ミー」を選曲。オリジナルはコントゥアーズという黒人5人組が62年に全米3位に送りこんだ曲。同じイギリスではブライアン・プール&トレメローズと競作となり、ブライアン盤の全英1位に比べデイブ・クラーク盤は30位と負けてしまった。非常に単純なメロディであるが、ポップで美しいハモがお気に入り。
実は筆者が一番最初に作曲した曲が、その時は意識はしていなかったのだが、後から思うとこの曲に似ているんだよ。決してパクリじゃないんだけど。
(No.76)
「パクリか?空耳か?気のせいか?」に掲載
DAVE DEE, DOZY, BEAKY, MICK & TICH (デイブ・ディー・グループ)
THE LEGEND OF XANADU キサナドゥの伝説
『古今東西一番好きな曲を挙げろと』と聞かれたら、筆者はこの曲と答えます。スペイン風ギターにホーンセッションあり、メキシカン風なアレンジ。素晴らしいの一言。だけどなかなか見つからなかったんだよCDが。何年か前輸入の中古盤を見つけて買ったんだけど、胸躍らせて聴いてみたら「OKAY!」とカプリングになっていたシングルEPとアレンジが全然違うの。そして、今日やっとみつかりました。廃盤になったベスト盤。
DAVE DEE,DOZY,BEAKY,MICK & TICHは5人ともイギリスのソールズベリー出身。66年〜68年にかけて全英ヒットチャートトップ20に連続10曲も送りこんだブリティッシュポップス界の英雄。65年に「NO TIME」でデビューし不発に終わったが、セカンドシングルの「YOU MAKE IT MOVE」が全英26位となり、ジーン・ピットニー(ハロー・メリールーやルイジアナ・ママのシンガーソングライター)の全英ツアーに同行し、66年「HOLD TIGHT」、67年「OKAY!」と全英4位を記録。そして68年3月に記念すべき全英チャート1位「キサナドゥの伝説」が生まれる。
彼らは日本のグループ・サウンズにも大きな影響を与えている。ザ・ジャガーズが「キサナドゥの伝説」を、ザ・カーナビーツが「オーケイ」をカバーしてヒットした。ジャガーズのキサナドゥは聴けたものではないが、実は筆者はカーナビーツの「オーケイ!」はオリジナルより好きである。
ところで、CDショップに行くと「ザバダック」というグループを目にするが(どんなグループかは全く知らない)、彼らのヒット曲「ZABADAK!」(唯一の全米チャートイン曲、52位、全英3位)よりネーミングしたのだろうか。
(No.77)
P.S.
日本のザバダックのネーミングについて、S.S.さんから連絡があり、やはりこのグループの「ザバダック」から採ってきたようです。
DAVE MASON (デイブ・メイソン)
LET IT GO,LET IT FLOW 流れるままに
トラフィックというグループののギタリストとして、またソングライターとしてヒットを飛ばし、その後華々しくソロ・デビューしたが、それほど目立った活躍はなかった。最高は77年「WE JUST DISAGREE」の12位。しかし、アルバムは評価され、レオン・ラッセル、ジム・ケルトナー、デラニー&ボニーなどが参加した「ALONE TOGETHER」は非常に評価が高い。
選曲の「流れるままに」は77年のアルバムタイトル曲。彼のギターイントロから始まる曲で、彼の曲の中では一番ポップな曲。
(No.78)
DAVID GATES (デビッド・ゲイツ)
GOOD BYE GIRL
ブレッドの核となったデビット・ゲイツ。高校時代レオン・ラッセルとバンド活動をしていたゲイツは、58年頃チャック・ベリーのバックなどを務める実力バンド、アクセンツに在籍。59年ソロでデビューし3枚のシングルを出したり、デル・アシュリーという変名で歌ったが報われず。63年にチャタフーチー・レコードからの初ヒットとなるマーメイズの「POPSICLES AND ICICLES(恋のドライブ・イン)」(全米3位)を書いて作家として有名となった。その後もカーペンターズの「FOR ALL WE NOW(ふたりの誓い)」を書いたロブ・ロイヤーとジェームス・グリフィンとともにブレッドを結成。ソフトでロマンチックな作品を書く。
ブレッドは解散したり再結成したり忙しかったが、77年にソロとして出した映画「グッド・バイ・ガール」の主題歌(全米15位)を選曲。どちらかというとゲイツの書いたブレッドの曲はスローでスタイルが似ているが、これはちょっとイメージが違う曲。
(No.79)
DAVID SEVILLE (THE CHIPMUNKS)(デビッド・セビル、チップマンクス)
WITCH DOCTOR
日本でお馴染みのフォーク・クルセーダースの「帰ってきたヨッパライ」。『オラは死んじまっただ〜♪』っていうテープの早回しの原案は、ここにあるのかもしれない。
本名はバグダサリアンというが、発音しにくいとの理由でスペインのセビル(セビリア)に滞在したことからセビルと改名し、早回しの手法を使った「ウィッチ・ドクター」で1位を獲得する。その後チップマンクスを結成してコメディ・子供向けのレコードを中心に制作。「CHIPMANK SONG」(1位)、「ALVIN'S HARMONICA」(3位)などのヒットを続け長い間お茶の間の人気者となる。その後セビルはチップマンクスを引退し他界するが、息子が跡を継ぎ「チップマンク・パンク」などのレコーディングも行っている。なお、チップマンとは、アルヴィン、セオドア、サイモンの3匹のシマリス?の構成で、実際はセビルが自演している。
ちなみに、有名どころとして、ローズマリー・クルーニの「COME ON A MY HOUSE(家へおいでよ)」は彼の作品。
(02.12.01:No.416)
DAWN(TONY ORLANDO) (ドーン/トニー・オーランド)
KNOCK THEREE TIMES ノックは3回
アメリカにはドーンというグループは2つあり、65年から66年に3枚のレコードを出した正体不明のドーンというグループが存在した。本物?が出た頃にはこの正体不明のドーンは表面に出なくなったが、実は同じバンドではないかという説がある。かといって本物だって最初は架空のバンド。当初は4人だの6人だのと噂され、一般に公表されるメンバーは頻繁に入れ替わるが、歌やコーラスが全く変わらないという不自然さが話題となり、トニー・オーランドと女性2人(筆者の持っているレコードでは、ジョーイ・ビンセントとテルマ・ホプキンス)というドーンの正体がバレちゃった。元々トニー・オーランドは17歳でゴフィン・キング作の「HALFWAY TO PARARDSE」をヒットさせたソロ・シンガー。まぁカフ・リンクスやアーチーズのロン・ダンテみたいな人だな。
このグループも「ドーン」⇒「ドーン・フューチャリング・トニー・オーランド」⇒「トニー・オーランド&ドーン」と改名しているが、いずれのグループ名でも全米No.1ヒットを送り出しているところがすごい。(順に「KNOCK THEREE TIMES」、「TIE A YELLOW RIBBON ROUND THE OLE OAK TREE(幸せの黄色いリボン)」、「SAY,HAS ANYBODY SEEN MY SWEET GYPSY ROSE(嘆きのジプシーローズ)」)
選曲は筆者がカラオケでもよく歌う「ノックは3回」。ローレンス・ラッセル・ブラウンとアーウィン・レビンの作品。これ以降、ドーンの作品の多くはこのコンビが共作するようになった。
ところで女の子のお尻触ちゃったスケベなノックさんは今頃何してるんだろう。
(No.80)